東京国際映画祭公式インタビュー 2026年11月3日
コンペティション部門『獄中の記憶』 →作品詳細

©2026 TIFF
セルジオ・グラシアーノ(監督・左)、マリア・ジョアン・バストス(俳優・右)
原作はポルトガルを代表する歴史的作家カミロ・カステロ・ブランコの回想録。作家のアーナ・プラシドとの不倫でアーナが刑務所に収監され、当初逃げていたカミロも同じ刑務所に投降。特権階級のカミロは刑務所の中で束の間アーナと会うことを許される。主人公ふたりの大きな物語の中に、カミロが刑務所で見聞きした庶民の物語が語られる重厚な歴史ドラマで、社会の階級差や家父長制下の女性の悲惨な状況なども描き込まれている。2024年の東京国際映画祭でも『英国人の手紙』が上映されたセルジオ・グラシアーノ監督とアーナ役を演じたマリア・ジョアン・バストスさんがインタビューに答えた。
──ポルトガルを代表する作家を描きながら、監督は主人公を冒頭から「恋愛して道を外したのか」と女性人足をからかって困らせるような人物として登場させています。主人公を神格化せず、現代人からの批判的な見方を加えていらっしゃいますね。
セルジオ・グラシアーノ監督(以下、グラシアーノ監督):その通りです。この映画で最も重要だったのは、カミロを私たちと同じようなひとりの人間にすることでした。スーパーヒーローではなく、私たちと同じような生身の男性として描きたかったのです。観客が彼に寄り添えるように、怒りや復讐心、悲しみや喜びなど、彼の感情をそのまま感じてもらいたいという意図がありました。私たちと同じような人間に見せることこそが、この映画の主眼でした。

──当初は愛人が投獄されているときに友人の荘園に隠れてしまうような、自分のことしか考えられていなかった男性が罪悪感を感じて正しい行動をしていく過程を見せたのも、そういった意図からだったのでしょうか。
グラシアーノ監督:エゴイスティックなのはカミロの性質、すべての作家の性質でもあります。冒頭にいるのが私たちが思い描くイメージのカミロで、女性や友人を愛する人物です。そして投獄された後、彼の本では決して見られなかったもうひとりのカミロが現れます。前半と後半で大きく異なるのは、観客にとって身近な存在にするためです。
──牢獄のシーンでは社会的な階級差もはっきり描かれていました。
グラシアーノ監督:もちろんです。カミロは非常に特別な囚人でした。彼は作家ですし、当時新聞にも執筆していました。ほかの泥棒や殺人犯といった囚人たちとは異なっていたのです。貧しい囚人と富裕な囚人がいて、だからこそ国王が刑務所を訪れた際、「この刑務所の状況を終わらせなければならない」と言うのです。貧しい囚人の劣悪な状況を終わらせたかったからです。そして実際にその後、その通りの改革が起きました。 貧しい囚人たちの環境を良くするための改革で、王の訪問以来、刑務所は大きく変わりました。
──パウラ(雇い主の暴行で妊娠させられてしまう少女)の物語がアーナの声で語られるなど、女性差別の歴史を女性の声で描こうと工夫なさっています。
グラシアーノ監督:実は私のアイデアで、脚本には書かれていなかったのです。ナレーションだけでなく、アーナがあの場面に現れパウラが暴行されるのを見つめながら語るという演出は、私の判断で決めました。
──マリアさんはあのシーンをどんなお気持ちで演じていらっしゃったんでしょうか。とても悲惨なエピソードなのでストレスが多かったと思うのですが。
マリア・ジョアン・バストス(以下、バストス):当時、社会の標的になるのは常に女性でした。アーナはその問題に非常に敏感で、生涯を通じて男女の不平等と闘いました。ですから私にとってあのシーンを演じ、パウラを擁護して「彼女の過ちではない」と示す機会を持てたことは重要でした。当時の女性に何が起きていたかをとても見事に表したシーンだと思います。

──精神的に結構こたえる撮影だったと思うのですが、ストレスにどのように対処されたのでしょうか?
バストス:撮影はポルトガルの北部で行われてチームでホテルに滞在したので、自分の日常生活に戻っていくことがありませんでした。ですが、それでかえって役のエネルギーを保ち続けることができました。撮影が終わってホテルの部屋に戻った後、当時の音楽を聴いたり、翌日のシーンを読んだりしていました。完全に役から離れるのではなく、休息しながらも彼女の感覚や感情の中に居続けるようにしていました。
──髪も実際に編んでいたそうで時間も相当かかったでしょうし、衣装もコルセットなどをつけて肉体的にも大変だったのではありませんか。
バストス:ヘアスタイリストが非常に手際良く、短時間で仕上げてくれたので苦にはなりませんでした。私はよく歴史物に出演しているので当時の衣装には慣れていて、むしろ快適に感じるぐらいなんです。ただ、肉体的に最も大きなチャレンジだったのはショパンの曲を弾くことでした。私はピアノが弾けなかったので、右手と左手でまったく違う動きを習得するのは本当に難しかったです。
──女性が社会に裁かれてしまう状況で、アーナがわざと外から見えるところで葉巻を吸っていたシーンが非常に印象的でした。彼女の反骨精神を表しているのでしょうか。
バストス:あれは事実に基づいています。アーナは常に女性の自己決定権のために闘っていました。彼女はカミロを愛し、一緒にいることを自ら選び、刑務所に入る道を選びました。窓辺に行って葉巻を吸うことは、「私は自分の意志でここにいる。自分の人生は自分で決める」という姿勢を示す行為でした。当時、女性の喫煙は禁じられていましたから、蔑んだ目で見にやって来る人々に対して「同情なんていらない」と堂々と吸ってみせたのです。19世紀における女性のエンパワーメントを象徴しています。
グラシアーノ監督:完全に原作通りです。原作が素晴らしいのは事実が書かれているということで、私は物語に忠実に従っただけです。カミロは他の作家たちとは全く異なる視点で女性を見ていました。カミロが生きた19世紀という時代に女性たちがどのように扱われ、社会が女性をどう見ていたのかを描き出すことが非常に重要だと考えました。原作にある人物すべてを描き切れたわけではなく登場人物の数は減らしていますが、すべて実在した人々です。
──絵画のように美しい映像でした。苦労なさったのはどういうところでしたか。夜のシーンなどで女性の肌が浮かび上がるように撮られたのも印象的でした。
グラシアーノ監督:撮影監督は俳優だけに光を当てるのが好みで、俳優以外には光を当てず、周囲の環境は少し暗いままにしておくのが彼のスタイルなんです。彼はカメラのレンズの前にフィルターを付け、俳優の顔の位置にだけ小さな穴を開けていました。穴の周りは暗く、俳優の顔だけに光が当たるようにしていたのです。 また、私たちはベラスケスの絵画をたくさん見て、そこからインスピレーションを得て撮影を進め、主演のふたりには19世紀半ばの人々の佇まいを考えて演じてもらいました。
──マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『絶望の日』では、カミロはとても弱い人でアーナに支えられていました。オリヴェイラと違った夫婦像を描くにあたってどういう点を意識されましたか? バストスさんは演じる上でどんなことを指針にされたのでしょうか。
グラシアーノ監督:『絶望の日』は、カミロの最期の日々を描いています。カミロはアーナの前にも多くの女性と関係を持っていましたが、アーナは彼にとって自分と同等に向き合える知的な女性でした。だからこそふたりの間には真の愛が生まれたのです。 オリヴェイラ監督の作品ではアーナの存在は小さくしか描かれませんでしたが、本作で真のアーナの姿を描くことができたと思います。
バストス:ふたりは単に肉体的な愛ではなく、知的にも結びついていました。相手の話をお互いよく聞き理解し合っていて、時にはアーナがカミロに異議を唱えて対峙することもありましたが、カミロはアーナを女性としてだけでなく知性のあるひとりの作家としても大いに尊敬していたんです。彼女はカミロに対して権力こそなかったけれど、影響力を持っていて、あらゆる意味でふたりは一体だったのです。
インタビュー・構成/遠藤京子(日本映画ペンクラブ)
東京国際映画祭公式インタビュー 2026年11月3日
コンペティション部門『獄中の記憶』 →作品詳細

©2026 TIFF
セルジオ・グラシアーノ(監督・左)、マリア・ジョアン・バストス(俳優・右)
原作はポルトガルを代表する歴史的作家カミロ・カステロ・ブランコの回想録。作家のアーナ・プラシドとの不倫でアーナが刑務所に収監され、当初逃げていたカミロも同じ刑務所に投降。特権階級のカミロは刑務所の中で束の間アーナと会うことを許される。主人公ふたりの大きな物語の中に、カミロが刑務所で見聞きした庶民の物語が語られる重厚な歴史ドラマで、社会の階級差や家父長制下の女性の悲惨な状況なども描き込まれている。2024年の東京国際映画祭でも『英国人の手紙』が上映されたセルジオ・グラシアーノ監督とアーナ役を演じたマリア・ジョアン・バストスさんがインタビューに答えた。
──ポルトガルを代表する作家を描きながら、監督は主人公を冒頭から「恋愛して道を外したのか」と女性人足をからかって困らせるような人物として登場させています。主人公を神格化せず、現代人からの批判的な見方を加えていらっしゃいますね。
セルジオ・グラシアーノ監督(以下、グラシアーノ監督):その通りです。この映画で最も重要だったのは、カミロを私たちと同じようなひとりの人間にすることでした。スーパーヒーローではなく、私たちと同じような生身の男性として描きたかったのです。観客が彼に寄り添えるように、怒りや復讐心、悲しみや喜びなど、彼の感情をそのまま感じてもらいたいという意図がありました。私たちと同じような人間に見せることこそが、この映画の主眼でした。

──当初は愛人が投獄されているときに友人の荘園に隠れてしまうような、自分のことしか考えられていなかった男性が罪悪感を感じて正しい行動をしていく過程を見せたのも、そういった意図からだったのでしょうか。
グラシアーノ監督:エゴイスティックなのはカミロの性質、すべての作家の性質でもあります。冒頭にいるのが私たちが思い描くイメージのカミロで、女性や友人を愛する人物です。そして投獄された後、彼の本では決して見られなかったもうひとりのカミロが現れます。前半と後半で大きく異なるのは、観客にとって身近な存在にするためです。
──牢獄のシーンでは社会的な階級差もはっきり描かれていました。
グラシアーノ監督:もちろんです。カミロは非常に特別な囚人でした。彼は作家ですし、当時新聞にも執筆していました。ほかの泥棒や殺人犯といった囚人たちとは異なっていたのです。貧しい囚人と富裕な囚人がいて、だからこそ国王が刑務所を訪れた際、「この刑務所の状況を終わらせなければならない」と言うのです。貧しい囚人の劣悪な状況を終わらせたかったからです。そして実際にその後、その通りの改革が起きました。 貧しい囚人たちの環境を良くするための改革で、王の訪問以来、刑務所は大きく変わりました。
──パウラ(雇い主の暴行で妊娠させられてしまう少女)の物語がアーナの声で語られるなど、女性差別の歴史を女性の声で描こうと工夫なさっています。
グラシアーノ監督:実は私のアイデアで、脚本には書かれていなかったのです。ナレーションだけでなく、アーナがあの場面に現れパウラが暴行されるのを見つめながら語るという演出は、私の判断で決めました。
──マリアさんはあのシーンをどんなお気持ちで演じていらっしゃったんでしょうか。とても悲惨なエピソードなのでストレスが多かったと思うのですが。
マリア・ジョアン・バストス(以下、バストス):当時、社会の標的になるのは常に女性でした。アーナはその問題に非常に敏感で、生涯を通じて男女の不平等と闘いました。ですから私にとってあのシーンを演じ、パウラを擁護して「彼女の過ちではない」と示す機会を持てたことは重要でした。当時の女性に何が起きていたかをとても見事に表したシーンだと思います。

──精神的に結構こたえる撮影だったと思うのですが、ストレスにどのように対処されたのでしょうか?
バストス:撮影はポルトガルの北部で行われてチームでホテルに滞在したので、自分の日常生活に戻っていくことがありませんでした。ですが、それでかえって役のエネルギーを保ち続けることができました。撮影が終わってホテルの部屋に戻った後、当時の音楽を聴いたり、翌日のシーンを読んだりしていました。完全に役から離れるのではなく、休息しながらも彼女の感覚や感情の中に居続けるようにしていました。
──髪も実際に編んでいたそうで時間も相当かかったでしょうし、衣装もコルセットなどをつけて肉体的にも大変だったのではありませんか。
バストス:ヘアスタイリストが非常に手際良く、短時間で仕上げてくれたので苦にはなりませんでした。私はよく歴史物に出演しているので当時の衣装には慣れていて、むしろ快適に感じるぐらいなんです。ただ、肉体的に最も大きなチャレンジだったのはショパンの曲を弾くことでした。私はピアノが弾けなかったので、右手と左手でまったく違う動きを習得するのは本当に難しかったです。
──女性が社会に裁かれてしまう状況で、アーナがわざと外から見えるところで葉巻を吸っていたシーンが非常に印象的でした。彼女の反骨精神を表しているのでしょうか。
バストス:あれは事実に基づいています。アーナは常に女性の自己決定権のために闘っていました。彼女はカミロを愛し、一緒にいることを自ら選び、刑務所に入る道を選びました。窓辺に行って葉巻を吸うことは、「私は自分の意志でここにいる。自分の人生は自分で決める」という姿勢を示す行為でした。当時、女性の喫煙は禁じられていましたから、蔑んだ目で見にやって来る人々に対して「同情なんていらない」と堂々と吸ってみせたのです。19世紀における女性のエンパワーメントを象徴しています。
グラシアーノ監督:完全に原作通りです。原作が素晴らしいのは事実が書かれているということで、私は物語に忠実に従っただけです。カミロは他の作家たちとは全く異なる視点で女性を見ていました。カミロが生きた19世紀という時代に女性たちがどのように扱われ、社会が女性をどう見ていたのかを描き出すことが非常に重要だと考えました。原作にある人物すべてを描き切れたわけではなく登場人物の数は減らしていますが、すべて実在した人々です。
──絵画のように美しい映像でした。苦労なさったのはどういうところでしたか。夜のシーンなどで女性の肌が浮かび上がるように撮られたのも印象的でした。
グラシアーノ監督:撮影監督は俳優だけに光を当てるのが好みで、俳優以外には光を当てず、周囲の環境は少し暗いままにしておくのが彼のスタイルなんです。彼はカメラのレンズの前にフィルターを付け、俳優の顔の位置にだけ小さな穴を開けていました。穴の周りは暗く、俳優の顔だけに光が当たるようにしていたのです。 また、私たちはベラスケスの絵画をたくさん見て、そこからインスピレーションを得て撮影を進め、主演のふたりには19世紀半ばの人々の佇まいを考えて演じてもらいました。
──マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『絶望の日』では、カミロはとても弱い人でアーナに支えられていました。オリヴェイラと違った夫婦像を描くにあたってどういう点を意識されましたか? バストスさんは演じる上でどんなことを指針にされたのでしょうか。
グラシアーノ監督:『絶望の日』は、カミロの最期の日々を描いています。カミロはアーナの前にも多くの女性と関係を持っていましたが、アーナは彼にとって自分と同等に向き合える知的な女性でした。だからこそふたりの間には真の愛が生まれたのです。 オリヴェイラ監督の作品ではアーナの存在は小さくしか描かれませんでしたが、本作で真のアーナの姿を描くことができたと思います。
バストス:ふたりは単に肉体的な愛ではなく、知的にも結びついていました。相手の話をお互いよく聞き理解し合っていて、時にはアーナがカミロに異議を唱えて対峙することもありましたが、カミロはアーナを女性としてだけでなく知性のあるひとりの作家としても大いに尊敬していたんです。彼女はカミロに対して権力こそなかったけれど、影響力を持っていて、あらゆる意味でふたりは一体だったのです。
インタビュー・構成/遠藤京子(日本映画ペンクラブ)