東京国際映画祭公式インタビュー 2026年11月2日
アジアの未来部門『私なんて特別じゃない』 →作品詳細

©2026 TIFF
ナヴィド・モハマドザデー(監督/脚本/プロデューサー・左)、フェレシュテ・ホセイニ(俳優・右)
フェリが開いたホームパーティーに恋人サジャドの元カノがやってきて、フェリとサジャドは大喧嘩に。フェリの妹、マリヤムはアンダーグラウンドのDJパーティーでサジャドが元カノと遊んでいるのを見かける──俳優たちの名前がそのまま役名になっている現代イランの姉妹のドラマを撮ったのは、俳優としても活躍し、『ジャスト 6.5』(19)で第32回東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞したナヴィド・モハマドザデー監督。これまでのイラン映画では映されなかったリアルなテヘランを描いている。
──私にも先入観があったと感じました。アディダスを着てタバコを吸っている女子は世界中で当たり前に見かけるのに、イラン映画だと珍しいと思ってしまいます。この映画を製作したのはイラン映画のイメージを変えたいという思いもあったのでしょうか。
ナヴィド・モハマドザデー監督(以下、モハマドザデー監督):ここ数年、ヒジャブ(頭髪を覆うためのスカーフ)なしの映画も作られるようになっており、私がヒジャブなしの映画を作った最初の監督というわけではありません。しかし、この映画で描かれているような社会やコミュニティーは、そうしたヒジャブなしの映画にさえ描かれてきませんでした。だからこそ、このような映画を作ったんです。 私たちが映画で見せているコミュニティーの人々は、通りを歩くときでさえヒジャブを着けていません。家の中で着けるはずがありません。もし着けてしまえば、この社会階層についての映画をリアルに描くことは不可能です。ヒジャブをつけていない女性を描けば当然、イラン国内での劇場公開は期待できませんが、この人たちも現実に存在しているんだということを映像として残したいと思ったんです。この階層の人々を正しくリアルに見せたかったんです。
──エリック・ロメールやミア・ハンセン=ラヴを彷彿させるモダンな作品で、フェリさんとマリヤムさんが一緒にいるラストがとても映画的でした。この映画を撮ろうと思ったのはおふたりとの出会いがあったからですか?
モハマドザデー監督:私はこれまで多くの映画に携わってきましたが、脚本を2、3年かけて書き、絵コンテを完璧に用意するようなやり方とは正反対のアプローチを取りました。全体的なテーマや関係性については把握していましたが、あのシーンでも具体的に台詞を与えるのではなく、どんなテーマで話すかを話し合いました。彼女たちは非常に頭がいいし、優れた俳優に対しては全体的に状況を設定して何を話すか大体決めれば十分なのです。俳優としての経験から、前もって全部決めてしまうような撮り方はあまり好きではありません。すべてをガチガチに固めてしまうと、その瞬間の生きた感情が死んでしまいます。この映画では流れるような自然さやその瞬間の生々しさを最優先にしました。

──フェリさんやマリヤムさんとの出会いが映画より先にあって、実際の姉妹であるおふたりに心を動かされてこの作品を撮ろうと思ったのでしょうか。
モハマドザデー監督:まさにその通りです。だからこそ彼女たちを選びました。もしふたりの姉妹についての映画を撮るなら、実際に俳優である姉妹を起用しない手はありません。非常にリアルな関係性を生み出すことができますし、映画を撮る者にとって素晴らしい可能性を与えてくれます。ふたりとも非常に聡明ですし、私自身が彼女たちを長年知っていたので面白いコラボレーションが生まれました。客観的に彼女たちを見て、よく知っているからこそ実現したのです。
──オーディションではなく最初からこのおふたりのキャストありきで作られた映画なんですね。
モハマドザデー監督:はい、彼女たちがいなければ作っていません。
──喧嘩になるシーンの撮影はとても大変だったのではないでしょうか。どのように準備されましたか?
フェレシュテ・ホセイニ(以下、ホセイニ):監督が事前に「お互いに昔の恋人と喧嘩した経験が絶対にあるはずだから、それを思い出して、リアルな喧嘩の感覚をそのまま保ってやってみて」と言ってくれたんです。リハーサルはせず、相手役のサジャドと直前に「監督が求めている方向性はわかっているからセリフは即興で、お互いの感情の流れについていこう」と話し合って演じました。

モハマドザデー監督:そしてテイクを重ねるごとに、「今のテイクのこの部分は良かったから残して、このセリフはもう言わないで、ここにアクセントを置こう」というように修正していきました。
──姉妹共演で苦労したことや、楽しかったことを教えていただきたいです。
ホセイニ:正直、嫌だったり苦労したりしたことはまったくありませんでした。マリヤムは私より年下ですが、とても聡明でしっかりした性格です。劇中でも「年齢は若いのに、まるでワイズ・ベイビー(賢い赤ん坊)みたいね」と言うシーンがありますが、本当にそういう性格なんです。とても賢くて、演技でもプライベートでも話したり隣にいたり考えを共有するのがとても楽しいんです。とにかく信頼できる人です。演技の場でも彼女がいればすべてうまくいくとわかっていますし、人生においてもそばにいてくれれば心強い存在です。
──俳優出身の監督がハリウッドでも目立ってきていると思います。A24のハリナ・ライン監督なども「俳優出身だからこそ俳優の気持ちが分かって演出しやすい」とおっしゃっていました。モハマドザデー監督はほかの監督と比べてご自身にそうした違いがあると感じますか?
モハマドザデー監督:映画史におけるその最高の例は、私にとってはジョン・カサヴェテスです。カサヴェテスが成しとげたことは本当に驚くべきもので、俳優としてのキャリアから離れ、純粋に個人的な視点で映画制作を行いました。それが実に素晴らしいのです。 俳優出身の監督の映画を観ていると、自分が出演していた映画の技術に囚われてしまって、自分も同じことができると証明するために撮っているような作品が多い気がします。私にとって映画制作の冒険とは、先ほど話したように、普段起こっていることや自分が出演する映画で求められることの真逆をいくことでした。そうでなければ映画を撮る魅力などありません。自分が一緒に仕事をしてきた監督たちとは異なる視点を持てるからこそ、この映画を撮ったのです。
──俳優という視点からの撮り方ということでしょうか?
モハマドザデー監督:私自身の視点ということです。自分で映画を作るときにこそ、自分自身を定義することができます。映画を作ることで、自分たちがどう考え世界をどう見ているかを示すことができるのです。素晴らしい監督や作品だとしても他人の映画に出演するときは、彼らが望む道を俳優として進み、その中で自分の痕跡を残そうとしているに過ぎません。しかし、監督として撮る場合は100%自分自身の本質や世界観を表しています。イランでも普段の私の演技や出演作を知っている人たちは、私がこのような映画を撮ったことに驚くはずです。
──クラブカルチャーも描かれています。10年前の『Raving Iran』(16)ではDJたちが亡命したと聞いていますが、今は取り締まりが緩やかになっているのでしょうか。テヘラン以外にもクラブカルチャーは普及しているんですか?
モハマドザデー監督:映画の中で駐車場を会場にしたのは私たちの演出で、ああいう駐車場で実際にパーティーが開かれるわけではありませんが、チケット制のパーティーはよくあります。パーティーが100回あるとして、警察とか治安部隊が踏み込んで取り締まったりするのはここ数年で5回程度だと思います。あまりに広がりすぎて、もうすべて取り締まることはできなくなっているんです。パーティーに来たことがなかった普通の人々も噂を聞いて参加するほど一般的になってきています。テヘランやイランのアンダーグラウンドで行われているパーティーは、世界のどこにも似ていない独自の進化を遂げています。その独自の空気感こそテヘランのパーティーで私が気に入っているところなんです。 映画祭でかかるような映画では、イランのパーティーといえば治安部隊が踏み込んでくるシーンばかりです。そういうことがまったく起きないとは言いませんが、私自身よくパーティーに行っていて警察が踏み込んできて深刻な事態になったのは人生で2回だけです。それ以外は近所から「うるさい」と苦情が来たから「静かにしろ」「お開きにしろ」という程度です。なぜいつも取り締まりの場面ばかり見せなければならないのでしょうか。ただパーティーを楽しんで何事も起きない現実を描くこともできるはずです。イランのパーティーには取り締まりなんかないと言いたいわけではありませんが、海外の人々が面白がるようなステレオタイプなイランの姿は見せたくないのです。
──DJイベントはもう当たり前に行われているんですね。
モハマドザデー監督:DJは今、カフェや街のいたるところにいますよ。ほかの国々と同じです。ただ、法律で認められたクラブという形ではありませんが、自分たちで定着させた独自のアンダーグラウンドなシステムが存在しています。
──いつも決まった場所で開かれるわけではないということですね。
モハマドザデー監督:DJたちはカフェやイベントで普通にプレイしています。
ホセイニ:お客さんがその前で踊ったりはしませんが、DJはプレイしています。
モハマドザデー監督:そうです。そしてチケット制のパーティーは郊外へ1時間ほど車を走らせた安全な場所などに200〜300人が集まって開かれます。
──現在のテヘランの当たり前の姿を描かれたんですね。
モハマドザデー監督:まさにそのためにこの映画を作りました。ニュースや従来の映画では、現実とは異なるイメージばかりが映し出されているからです。
インタビュー/構成:遠藤京子(日本映画ペンクラブ)
東京国際映画祭公式インタビュー 2026年11月2日
アジアの未来部門『私なんて特別じゃない』 →作品詳細

©2026 TIFF
ナヴィド・モハマドザデー(監督/脚本/プロデューサー・左)、フェレシュテ・ホセイニ(俳優・右)
フェリが開いたホームパーティーに恋人サジャドの元カノがやってきて、フェリとサジャドは大喧嘩に。フェリの妹、マリヤムはアンダーグラウンドのDJパーティーでサジャドが元カノと遊んでいるのを見かける──俳優たちの名前がそのまま役名になっている現代イランの姉妹のドラマを撮ったのは、俳優としても活躍し、『ジャスト 6.5』(19)で第32回東京国際映画祭の最優秀男優賞を受賞したナヴィド・モハマドザデー監督。これまでのイラン映画では映されなかったリアルなテヘランを描いている。
──私にも先入観があったと感じました。アディダスを着てタバコを吸っている女子は世界中で当たり前に見かけるのに、イラン映画だと珍しいと思ってしまいます。この映画を製作したのはイラン映画のイメージを変えたいという思いもあったのでしょうか。
ナヴィド・モハマドザデー監督(以下、モハマドザデー監督):ここ数年、ヒジャブ(頭髪を覆うためのスカーフ)なしの映画も作られるようになっており、私がヒジャブなしの映画を作った最初の監督というわけではありません。しかし、この映画で描かれているような社会やコミュニティーは、そうしたヒジャブなしの映画にさえ描かれてきませんでした。だからこそ、このような映画を作ったんです。 私たちが映画で見せているコミュニティーの人々は、通りを歩くときでさえヒジャブを着けていません。家の中で着けるはずがありません。もし着けてしまえば、この社会階層についての映画をリアルに描くことは不可能です。ヒジャブをつけていない女性を描けば当然、イラン国内での劇場公開は期待できませんが、この人たちも現実に存在しているんだということを映像として残したいと思ったんです。この階層の人々を正しくリアルに見せたかったんです。
──エリック・ロメールやミア・ハンセン=ラヴを彷彿させるモダンな作品で、フェリさんとマリヤムさんが一緒にいるラストがとても映画的でした。この映画を撮ろうと思ったのはおふたりとの出会いがあったからですか?
モハマドザデー監督:私はこれまで多くの映画に携わってきましたが、脚本を2、3年かけて書き、絵コンテを完璧に用意するようなやり方とは正反対のアプローチを取りました。全体的なテーマや関係性については把握していましたが、あのシーンでも具体的に台詞を与えるのではなく、どんなテーマで話すかを話し合いました。彼女たちは非常に頭がいいし、優れた俳優に対しては全体的に状況を設定して何を話すか大体決めれば十分なのです。俳優としての経験から、前もって全部決めてしまうような撮り方はあまり好きではありません。すべてをガチガチに固めてしまうと、その瞬間の生きた感情が死んでしまいます。この映画では流れるような自然さやその瞬間の生々しさを最優先にしました。

──フェリさんやマリヤムさんとの出会いが映画より先にあって、実際の姉妹であるおふたりに心を動かされてこの作品を撮ろうと思ったのでしょうか。
モハマドザデー監督:まさにその通りです。だからこそ彼女たちを選びました。もしふたりの姉妹についての映画を撮るなら、実際に俳優である姉妹を起用しない手はありません。非常にリアルな関係性を生み出すことができますし、映画を撮る者にとって素晴らしい可能性を与えてくれます。ふたりとも非常に聡明ですし、私自身が彼女たちを長年知っていたので面白いコラボレーションが生まれました。客観的に彼女たちを見て、よく知っているからこそ実現したのです。
──オーディションではなく最初からこのおふたりのキャストありきで作られた映画なんですね。
モハマドザデー監督:はい、彼女たちがいなければ作っていません。
──喧嘩になるシーンの撮影はとても大変だったのではないでしょうか。どのように準備されましたか?
フェレシュテ・ホセイニ(以下、ホセイニ):監督が事前に「お互いに昔の恋人と喧嘩した経験が絶対にあるはずだから、それを思い出して、リアルな喧嘩の感覚をそのまま保ってやってみて」と言ってくれたんです。リハーサルはせず、相手役のサジャドと直前に「監督が求めている方向性はわかっているからセリフは即興で、お互いの感情の流れについていこう」と話し合って演じました。

モハマドザデー監督:そしてテイクを重ねるごとに、「今のテイクのこの部分は良かったから残して、このセリフはもう言わないで、ここにアクセントを置こう」というように修正していきました。
──姉妹共演で苦労したことや、楽しかったことを教えていただきたいです。
ホセイニ:正直、嫌だったり苦労したりしたことはまったくありませんでした。マリヤムは私より年下ですが、とても聡明でしっかりした性格です。劇中でも「年齢は若いのに、まるでワイズ・ベイビー(賢い赤ん坊)みたいね」と言うシーンがありますが、本当にそういう性格なんです。とても賢くて、演技でもプライベートでも話したり隣にいたり考えを共有するのがとても楽しいんです。とにかく信頼できる人です。演技の場でも彼女がいればすべてうまくいくとわかっていますし、人生においてもそばにいてくれれば心強い存在です。
──俳優出身の監督がハリウッドでも目立ってきていると思います。A24のハリナ・ライン監督なども「俳優出身だからこそ俳優の気持ちが分かって演出しやすい」とおっしゃっていました。モハマドザデー監督はほかの監督と比べてご自身にそうした違いがあると感じますか?
モハマドザデー監督:映画史におけるその最高の例は、私にとってはジョン・カサヴェテスです。カサヴェテスが成しとげたことは本当に驚くべきもので、俳優としてのキャリアから離れ、純粋に個人的な視点で映画制作を行いました。それが実に素晴らしいのです。 俳優出身の監督の映画を観ていると、自分が出演していた映画の技術に囚われてしまって、自分も同じことができると証明するために撮っているような作品が多い気がします。私にとって映画制作の冒険とは、先ほど話したように、普段起こっていることや自分が出演する映画で求められることの真逆をいくことでした。そうでなければ映画を撮る魅力などありません。自分が一緒に仕事をしてきた監督たちとは異なる視点を持てるからこそ、この映画を撮ったのです。
──俳優という視点からの撮り方ということでしょうか?
モハマドザデー監督:私自身の視点ということです。自分で映画を作るときにこそ、自分自身を定義することができます。映画を作ることで、自分たちがどう考え世界をどう見ているかを示すことができるのです。素晴らしい監督や作品だとしても他人の映画に出演するときは、彼らが望む道を俳優として進み、その中で自分の痕跡を残そうとしているに過ぎません。しかし、監督として撮る場合は100%自分自身の本質や世界観を表しています。イランでも普段の私の演技や出演作を知っている人たちは、私がこのような映画を撮ったことに驚くはずです。
──クラブカルチャーも描かれています。10年前の『Raving Iran』(16)ではDJたちが亡命したと聞いていますが、今は取り締まりが緩やかになっているのでしょうか。テヘラン以外にもクラブカルチャーは普及しているんですか?
モハマドザデー監督:映画の中で駐車場を会場にしたのは私たちの演出で、ああいう駐車場で実際にパーティーが開かれるわけではありませんが、チケット制のパーティーはよくあります。パーティーが100回あるとして、警察とか治安部隊が踏み込んで取り締まったりするのはここ数年で5回程度だと思います。あまりに広がりすぎて、もうすべて取り締まることはできなくなっているんです。パーティーに来たことがなかった普通の人々も噂を聞いて参加するほど一般的になってきています。テヘランやイランのアンダーグラウンドで行われているパーティーは、世界のどこにも似ていない独自の進化を遂げています。その独自の空気感こそテヘランのパーティーで私が気に入っているところなんです。 映画祭でかかるような映画では、イランのパーティーといえば治安部隊が踏み込んでくるシーンばかりです。そういうことがまったく起きないとは言いませんが、私自身よくパーティーに行っていて警察が踏み込んできて深刻な事態になったのは人生で2回だけです。それ以外は近所から「うるさい」と苦情が来たから「静かにしろ」「お開きにしろ」という程度です。なぜいつも取り締まりの場面ばかり見せなければならないのでしょうか。ただパーティーを楽しんで何事も起きない現実を描くこともできるはずです。イランのパーティーには取り締まりなんかないと言いたいわけではありませんが、海外の人々が面白がるようなステレオタイプなイランの姿は見せたくないのです。
──DJイベントはもう当たり前に行われているんですね。
モハマドザデー監督:DJは今、カフェや街のいたるところにいますよ。ほかの国々と同じです。ただ、法律で認められたクラブという形ではありませんが、自分たちで定着させた独自のアンダーグラウンドなシステムが存在しています。
──いつも決まった場所で開かれるわけではないということですね。
モハマドザデー監督:DJたちはカフェやイベントで普通にプレイしています。
ホセイニ:お客さんがその前で踊ったりはしませんが、DJはプレイしています。
モハマドザデー監督:そうです。そしてチケット制のパーティーは郊外へ1時間ほど車を走らせた安全な場所などに200〜300人が集まって開かれます。
──現在のテヘランの当たり前の姿を描かれたんですね。
モハマドザデー監督:まさにそのためにこの映画を作りました。ニュースや従来の映画では、現実とは異なるイメージばかりが映し出されているからです。
インタビュー/構成:遠藤京子(日本映画ペンクラブ)