
10/29(木)CROSSCUT ASIA+ 部門『未明のとき』上映後に、ダニエル・フイさん(脚本/編集/監督・右)、ヤン・イェンシュエン・ヴィッキーさん(俳優・中央)、イルファン・カスバンさん(俳優・左)をお迎えし、Q&Aが行われました。
司会:上田真之(CROSSCUT ASIA+プログラマー)(以下、上田プログラマー):それでは本日のゲストをご紹介します。まず本作の監督・脚本・編集を手がけられたダニエル・フイ監督、尋問を受ける女性を演じたヤン・イェンシュエン・ヴィッキーさん、女性を尋問する男性を演じたイルファン・カスバンさんです。最初に一言ずつ、ご挨拶をお願いします。
ダニエル・フイ監督(以下、監督): おはようございます。皆さん、こんなに早い時間帯にこの作品を観に来てくださって本当にありがとうございました。
ヤン・イェンシュエン・ヴィッキーさん(以下、ヴィッキーさん): 今日、皆さんここに来ていただいて、この時間を共有できたことを非常に嬉しく思っています。私は、東京に初めて来たのですが、映画を観ていると自分の幽霊を見ているような、そんな気持ちになりました。
イルファン・カスバンさん(以下、イルファンさん):今日、来ていただいて、私たちとこの歴史を共有していただいて本当にありがとうございます。
上田プログラマー:この映画は、1つの部屋の中で2人の人物が対話するという、すごくシンプルな構成の映画です。その会話の中には、異なる時代の出来事や声が入り込んできます。1960年代のシンガポールを舞台にしながら、1980年代のタン・チャイ・ワの墓石をめぐる裁判の記憶が現れて、次第に誰が語っているのか、誰の声を聞いているのか分からなくなっていきます。限られた空間から、国家や歴史、個人の記憶についての複雑な世界が広がっていくところがとても印象的でした。
まず監督に伺いたいのですが、なぜこのような限定された空間と2人の人物の対話という形式でシンガポールの歴史を描こうと考えたのでしょうか?
監督:最初に考えたことは、私たち一人一人がどのように歴史を体現しているかということですね。そして、その歴史の中には忘れ去られた歴史もあると思います。
歴史の映画は、すごく大掛かりなものが多いと思いますが、私はもっと小規模の範囲で、私たちの歴史に存在した人々がどのように存在したのか、思い出してほしいと思いました。シンガポールの歴史というと、シンガポールの独立であったり、1965年頃(脱植民地化)が語られることが多いと思いますが、私は1980年代を描きたいなと思いました。政治的にもすごく大きく動いた年代でもありますし、シンガポールが安定しつつあった時期でもあります。この時の、国家形成のための政治的な戦いがあった時代を描こうと思いました。
当時、いわゆる国家プロジェクトが始まって、そのための法律が作られたわけですが、その法律がどのように作られて、どのように人々に広められたのか。法律が作られたことによって検閲が行われたり、守らない人を罰する動きがありましたが、そのようなことを描きたいと思いました。
実は最初、このプロジェクトはドキュメンタリーとして始まりました。映画で観ていただいたとおり、タン・チャイ・ワの墓石に書かれたことに対して扇動罪で弟が逮捕されたという歴史上の事実があります。それを知って、非常に不条理だと思いましたし、その悲劇を描きたいと思いました。
検閲について考える時、皮肉であるとともに面白いと思うのは、検閲を通して国家にとって重要なことは何か、触れてはいけないことは何かということが分かってくることです。
この映画を作るときに、ある種の制限を課したといいますか。音を入れないことで、静寂に語らせようと思いました。
そして皮肉なことに、私のこの映画は2024年にシンガポールで検閲を受けて上映を禁止されてしまいました。
上田プログラマー:ヴィッキーさんとイルファンさんに質問です。登場人物の言葉や存在が次第に変化していく、シンガポールの歴史の記憶を語るようになっていくと思いますが、お二人は一人の人物としてそこに立っているわけで、演じるときに監督とどのような話をしながら演技を作っていきましたか?
イルファンさん:監督には最初に、私は映画の前半で登場して、ヴィッキーさんが後半に登場するというコンセプトだと言われました。
脚本を読んだ時、私の役はヴィッキーさんの頭の中にある空想の人物であると思いました。また私は、プロダクションデザイナーでもあるので、テーブルやその中にあるセッティングによって生まれる人間の関係性というのも面白いなと感じました。
時系列的に撮影したので、私にとっても非常にやりやすかったと感じました。大体、夜の19時くらいから22時くらいまでリハーサルをして、そのあとに撮影をしました。撮影が進むにつれて、いろいろなことを発見しながら撮影することができました。
この映画を撮影していたのが、イギリス軍のバラックの中だったのですが、撮影が夜だったこともあり、時間の感覚にも影響されていたのではないかなと思います。
ヴィッキーさん:撮影に入る前に、監督のダニエルさんとこの作品についていろいろ話しました。裁判になっていた墓石も、実際にリサーチとして探しに行きました。結局、存在しませんでしたが、他のリサーチも一緒に行いました。
撮影現場では、イルファンさんと私、2人しかいないということもあって、撮影前に快適な撮影環境を作るためにイルファンさんに歌ってほしいと頼んだりもしました。非常に緊張感の高い撮影でもあったので、その中で居心地の良い関係をできるだけ作るということも非常に重要でした。
撮影中、何度も監督のダニエルさんと話したことなのですが、私たちはこの映画を撮影しながら、こういった人々の存在を示していく責任がある。そして、そういった人たちを私たちが代表して語っているということを忘れてはいけないと思っていました。私たちが描いた人について気にかけるのと同時に、私たちお互いのことも気にかける必要があると思っていました。
── Q:素敵な映画をありがとうございました。シンガポールでの上映が禁止されたそうですが、どのように感じておられますか。今後はどのような作品を作られるのでしょうか。
監督:上映禁止が分かった時、もちろん、非常に不愉快な出来事ではありました。
ただ、私はある程度この状況に慣れてしまっているところもあるといいますか…。2014年に『蛇の皮』(2015)を撮影しましたが、それ以降、シンガポールで私の作品を上映することが難しい状況にあります。映画を作るうえで、検閲についてはあまり意識しないようにしていますが、私たちは今を生きているわけで、自由が与えられているはずですから、今後作っていく作品にも検閲に影響されずに作りたいと思っています。
── Q:エンディング曲はジャワ語の歌だと思いますが、なぜこの曲を選んだのでしょうか。
監督:この歌は、ノバ・ルースさんというジャワ人の方が書かれた曲です。最初に聴いたとき、すごく静かだけど美しい曲だなと思いました。ですが、その後歌詞の内容を知り、実は怒りに満ちた曲であったと知りました。ジャワの伝統的な影絵芝居のマスターが怒りを表現している曲だと知って、さらに惹かれていきました。怒りと怒りの中にある美しさがこの曲の中に描かれているのだと知りました。
── Q:この映画はフィクションとドキュメンタリーで構成されていますが、演出の工夫や映画が完成するまでのプロセスを教えてください。
監督:ドキュメンタリーとフィクションの境界線を狙いました。全てのドキュメンタリーにはフィクション要素も含まれていると思いますし、その逆も同じだと思います。
私は映画を作る時、今回のようなドキュメンタリーとフィクションの境界線もそうですが、自分と他人であったり、個人と国家、自分の内側と外側など、境界線を描きたいと思っています。多分、この映画を通してそれを感じていただけたのではないかと思います。
昨日のイベントでも少しお話ししたことですが、自分の言葉がどう伝播していくのかといいますか…。例えば、自分の言葉がチームに伝播していって、それが観客、シンガポールを越えて海外の観客にも伝播していく、そんなプロセスが面白いと思うのです。