東京国際映画祭公式インタビュー 2026年10月30日
コンペティション部門『地獄が来たとしても』 →作品詳細

©2026 TIFF
サムエレ・ロッシ(監督/脚本/プロデューサー・右)、ルカ・タンガネッリ(俳優・左)
1944年、第二次世界大戦末期の北イタリア、アルプス地方ではドイツ軍とファシスト勢力の支配が続いていた。20歳のパルチザン兵士は、仲間たちを失いながらも、春の連合軍の侵攻まで山中の避難小屋を護ろうとする。極限状態にある人々との出会い、そして孤独が彼を苛んでいく。ドキュメンタリー、フィクションを幅広く手掛けるサムエレ・ロッシは、リアリズムで若き兵士の軌跡を紡ぎ出す。過去を描きながら、現代に通じるテーマを孕んだ作品だ。
──この作品を作るというアイデアはどのように誕生したのですか?
サムエレ・ロッシ監督(以下、ロッシ監督):私の監督としての軌跡から、アイデアは生まれました。2年前、私はイタリア映画界が危機に瀕していると感じ、一切の妥協を排した、自分自身を投影できる映画を作ろうと思い立ちました。監督として自分が感じる「抵抗」の感覚を表現するために、最も身近に感情を伝えられるものとしてパルチザンの「レジスタンス」に行き着きました。私にとって最も身近に感じる我が国の歴史の1ページです。パルチザンの物語を再発見することが、「抵抗」の感覚を語るための最良の題材となりました。

──作品にはさまざまな思いが込められているわけですね。
ロッシ監督:結果として、今イタリアや世界が直面している政治的状況をも語ることになりました。パレスチナやウクライナの戦争、世界における文化や芸術の抵抗、気候危機や地球規模の危機、社会に対する抗議運動などです。これらすべての要素が融合し、主人公のレジスタンスに集約されています。主人公は単なる第二次世界大戦時のパルチザンであるだけでなく、あらゆる困難に抵抗し続けるひとりの若者です。「まわりの世界が燃え盛るなかで抵抗する」――これは私が最初にメモに書き留めた言葉です。燃え盛る世界で抵抗するひとりの若者を描きたい。映画はまさにその通りの作品になりました。
──この映画にはドキュメンタリー的な要素が含まれていますよね。レジスタンスを語ることだけでなく、主人公は監督自身でもあるということですか?
ロッシ監督:私自身の感情や経験が反映されていると思います。戦争経験とは異なりますが、42歳の、ある種の退廃した世界を生きているひとりの人間としての経験です。私は20代を過ぎてから、無意識のうちに世界がより劇的に変化していくのを目にしてきました。そこで抱いた感情が、私の中に強く染み込んだのだと思います。私はこれまでドキュメンタリーを通じて自国の歴史を語ろうとしてきました。そうしたドキュメンタリーの手法や探求してきたものが、最終的に劇映画の言語の中に入り込んできたのです。歴史を語ることを通じて今日という現代を描き、今を生きる自分自身を描こうとしました。
──この映画の脚本を執筆されている段階で、すでに非常に明確な構想を持たれていたのでしょうか?
ロッシ監督:12年前にパルチザンに関するドキュメンタリーを制作した後、複数の物語ではなく、ひとりのパルチザンの物語を描く別のドキュメンタリーも制作しました。その経験がキャラクターを構築し、私自身の感情を具現化するのに役立ちました。もちろん主人公には私自身の要素も含まれていますが、私が出会ってきたすべてのパルチザンたちの要素も色濃く反映されています。
──ドキュメンタリーを手がけたことで、リサーチや資料の準備はすでに十分整っていたわけですね。
ロッシ監督:執筆のときは物語が自然とあふれ出てきました。2024年の7月から8月のことです。脚本のベースとなった最初のプロットは一気呵成に書き上げました。道を見失い、抜け出す力を探さねばならない若者の、オデッセイのような旅です。もちろん、その後の細部を詰める作業はありましたが、非常に明確で淀みのない流れでした。
──主人公は世界と戦うという象徴的な役割を担っていますが、主演のタンガネッリさんはどのように演じられたのでしょうか?
ルカ・タンガネッリ(以下、タンガネッリ):ロッシ監督は私に映画の主演を託してくれた初めての監督です。大きな責任を伴うものでしたし、カメラが常に主人公を追い続ける撮影スタイルだったため、肉体的にも非常に過酷な現場でした。それと同時に、政治的、歴史的、文化的なメッセージの重要性もありました。監督が込めたメッセージを背負う必要があり、また、私自身の家族の歴史への思いや、失われつつある記憶を守りたいという強い感情もありました。役作りにあたっては、私は「準備をしないこと」を試みました。何が起きるかに対して構えすぎない。それこそが主人公の身に起きたことだからです。

──過酷な撮影であったわけですね。
タンガネッリ: 主人公は自分の身に何が降りかかるのかを知りませんでした。最初に監督から「ずっと歩いていて一瞬にして深い闇に落ちるような物語だ」と説明してもらいました。ですから、私がこの主人公をどういう風に構築しようかということはまったくしないで撮影に臨みました。
──なぜ彼を主人公に選んだのですか?
ロッシ監督:ルカとは長い付き合いで同じ町の出身です。人生の道のりを共に歩んできました。2年前に製作を始めるとき、心を通わせられる人々とともに作りたいという思いがありました。実際、この映画のスタッフやキャストの多くは、古くからの知り合いのプロフェッショナルたちです。この映画を撮るにあたり、単に芸術的な相性だけでなく、人間として深く信頼できる仲間と作りたいという強い思いがありました。低予算で過酷な制作環境になることが分かっていたため、金銭や仕事以上の情熱を持って共に挑戦してくれる人が必要だったのです。
──今日のイタリア映画界における危機的要素とは何でしょうか?
ロッシ監督:ひとつ挙げるとするならば、今のイタリア映画が現実を描くことができなくなっていることです。自分たちの現実を物語として描くことができない。脚本家も監督もプロデューサーも同じです。社会全体が疲弊し、自分たちの歴史や記憶とのつながりを見失っている中で、映画が観客の本当に求めている感情や現実を届けられず、映画と観客の間に大きな溝が生まれています。非常に大きな問題だと思います。
──ドキュメンタリーと劇映画、両方手掛けられていますが、その関係性をどのように分けて捉えていますか?
ロッシ監督:私は観客としても監督としても、生まれつき劇映画に惹かれるタイプです。物語を語り、創作し、再構築することが好きなのです。私は常に「映画とは現実を再構築すべきものだ」という前提から出発します。16年前に劇映画からスタートし、その後ドキュメンタリーを手掛けるようになったのは巡り合わせでした。職業人として、新たな映像言語へと視野を広げる必要性に駆られたのです。劇映画が私にとって生来の言語だとするならば、ドキュメンタリーは自ら後天的に構築した言語と言えます。そして『地獄が来たとしても』は、そのふたつの世界を邂逅させた作品と言えます。
インタビュー/構成:稲田隆紀(日本映画ペンクラブ)
東京国際映画祭公式インタビュー 2026年10月30日
コンペティション部門『地獄が来たとしても』 →作品詳細

©2026 TIFF
サムエレ・ロッシ(監督/脚本/プロデューサー・右)、ルカ・タンガネッリ(俳優・左)
1944年、第二次世界大戦末期の北イタリア、アルプス地方ではドイツ軍とファシスト勢力の支配が続いていた。20歳のパルチザン兵士は、仲間たちを失いながらも、春の連合軍の侵攻まで山中の避難小屋を護ろうとする。極限状態にある人々との出会い、そして孤独が彼を苛んでいく。ドキュメンタリー、フィクションを幅広く手掛けるサムエレ・ロッシは、リアリズムで若き兵士の軌跡を紡ぎ出す。過去を描きながら、現代に通じるテーマを孕んだ作品だ。
──この作品を作るというアイデアはどのように誕生したのですか?
サムエレ・ロッシ監督(以下、ロッシ監督):私の監督としての軌跡から、アイデアは生まれました。2年前、私はイタリア映画界が危機に瀕していると感じ、一切の妥協を排した、自分自身を投影できる映画を作ろうと思い立ちました。監督として自分が感じる「抵抗」の感覚を表現するために、最も身近に感情を伝えられるものとしてパルチザンの「レジスタンス」に行き着きました。私にとって最も身近に感じる我が国の歴史の1ページです。パルチザンの物語を再発見することが、「抵抗」の感覚を語るための最良の題材となりました。

──作品にはさまざまな思いが込められているわけですね。
ロッシ監督:結果として、今イタリアや世界が直面している政治的状況をも語ることになりました。パレスチナやウクライナの戦争、世界における文化や芸術の抵抗、気候危機や地球規模の危機、社会に対する抗議運動などです。これらすべての要素が融合し、主人公のレジスタンスに集約されています。主人公は単なる第二次世界大戦時のパルチザンであるだけでなく、あらゆる困難に抵抗し続けるひとりの若者です。「まわりの世界が燃え盛るなかで抵抗する」――これは私が最初にメモに書き留めた言葉です。燃え盛る世界で抵抗するひとりの若者を描きたい。映画はまさにその通りの作品になりました。
──この映画にはドキュメンタリー的な要素が含まれていますよね。レジスタンスを語ることだけでなく、主人公は監督自身でもあるということですか?
ロッシ監督:私自身の感情や経験が反映されていると思います。戦争経験とは異なりますが、42歳の、ある種の退廃した世界を生きているひとりの人間としての経験です。私は20代を過ぎてから、無意識のうちに世界がより劇的に変化していくのを目にしてきました。そこで抱いた感情が、私の中に強く染み込んだのだと思います。私はこれまでドキュメンタリーを通じて自国の歴史を語ろうとしてきました。そうしたドキュメンタリーの手法や探求してきたものが、最終的に劇映画の言語の中に入り込んできたのです。歴史を語ることを通じて今日という現代を描き、今を生きる自分自身を描こうとしました。
──この映画の脚本を執筆されている段階で、すでに非常に明確な構想を持たれていたのでしょうか?
ロッシ監督:12年前にパルチザンに関するドキュメンタリーを制作した後、複数の物語ではなく、ひとりのパルチザンの物語を描く別のドキュメンタリーも制作しました。その経験がキャラクターを構築し、私自身の感情を具現化するのに役立ちました。もちろん主人公には私自身の要素も含まれていますが、私が出会ってきたすべてのパルチザンたちの要素も色濃く反映されています。
──ドキュメンタリーを手がけたことで、リサーチや資料の準備はすでに十分整っていたわけですね。
ロッシ監督:執筆のときは物語が自然とあふれ出てきました。2024年の7月から8月のことです。脚本のベースとなった最初のプロットは一気呵成に書き上げました。道を見失い、抜け出す力を探さねばならない若者の、オデッセイのような旅です。もちろん、その後の細部を詰める作業はありましたが、非常に明確で淀みのない流れでした。
──主人公は世界と戦うという象徴的な役割を担っていますが、主演のタンガネッリさんはどのように演じられたのでしょうか?
ルカ・タンガネッリ(以下、タンガネッリ):ロッシ監督は私に映画の主演を託してくれた初めての監督です。大きな責任を伴うものでしたし、カメラが常に主人公を追い続ける撮影スタイルだったため、肉体的にも非常に過酷な現場でした。それと同時に、政治的、歴史的、文化的なメッセージの重要性もありました。監督が込めたメッセージを背負う必要があり、また、私自身の家族の歴史への思いや、失われつつある記憶を守りたいという強い感情もありました。役作りにあたっては、私は「準備をしないこと」を試みました。何が起きるかに対して構えすぎない。それこそが主人公の身に起きたことだからです。

──過酷な撮影であったわけですね。
タンガネッリ: 主人公は自分の身に何が降りかかるのかを知りませんでした。最初に監督から「ずっと歩いていて一瞬にして深い闇に落ちるような物語だ」と説明してもらいました。ですから、私がこの主人公をどういう風に構築しようかということはまったくしないで撮影に臨みました。
──なぜ彼を主人公に選んだのですか?
ロッシ監督:ルカとは長い付き合いで同じ町の出身です。人生の道のりを共に歩んできました。2年前に製作を始めるとき、心を通わせられる人々とともに作りたいという思いがありました。実際、この映画のスタッフやキャストの多くは、古くからの知り合いのプロフェッショナルたちです。この映画を撮るにあたり、単に芸術的な相性だけでなく、人間として深く信頼できる仲間と作りたいという強い思いがありました。低予算で過酷な制作環境になることが分かっていたため、金銭や仕事以上の情熱を持って共に挑戦してくれる人が必要だったのです。
──今日のイタリア映画界における危機的要素とは何でしょうか?
ロッシ監督:ひとつ挙げるとするならば、今のイタリア映画が現実を描くことができなくなっていることです。自分たちの現実を物語として描くことができない。脚本家も監督もプロデューサーも同じです。社会全体が疲弊し、自分たちの歴史や記憶とのつながりを見失っている中で、映画が観客の本当に求めている感情や現実を届けられず、映画と観客の間に大きな溝が生まれています。非常に大きな問題だと思います。
──ドキュメンタリーと劇映画、両方手掛けられていますが、その関係性をどのように分けて捉えていますか?
ロッシ監督:私は観客としても監督としても、生まれつき劇映画に惹かれるタイプです。物語を語り、創作し、再構築することが好きなのです。私は常に「映画とは現実を再構築すべきものだ」という前提から出発します。16年前に劇映画からスタートし、その後ドキュメンタリーを手掛けるようになったのは巡り合わせでした。職業人として、新たな映像言語へと視野を広げる必要性に駆られたのです。劇映画が私にとって生来の言語だとするならば、ドキュメンタリーは自ら後天的に構築した言語と言えます。そして『地獄が来たとしても』は、そのふたつの世界を邂逅させた作品と言えます。
インタビュー/構成:稲田隆紀(日本映画ペンクラブ)