第39回東京国際映画祭のアニメーション部門シンポジウム「
残酷で優しい世界を描く」が11月3日、東京ミッドタウン日比谷 ホールHALL1で開催され、『
CHERRY AND VIRGIN』の川尻将由監督と『
我々は宇宙人』の門脇康平監督が登壇した。モデレーターはアニメーション部門プログラミングアドバイザーの藤津亮太。両作は作風も物語も異なるが、人間を理想化せず、かといって否定的な側面だけを強調することもなく、記号化されない人物の姿を描いている点に共通性がある。シンポジウムでは、キャラクターの造形やロトスコープの活用、背景美術、物語の構成などをめぐり、2人の監督がそれぞれの制作過程を語った。
まず話題となったのは、2人の主人公の関係性とキャラクターの着想について。川尻監督は、『CHERRY AND VIRGIN』の男女主人公について、自身が過去や現在に抱いてきた思いを反映させ、「自分のインナースペースで戦っている2人」として構想したと説明した。異性との関係を築くことの難しさも作品に込めているという。一方、門脇監督も、自身の人生経験を直接的に、あるいは脚色しながらキャラクターに取り入れたと語った。
両監督は、脚本やキャラクターを考えるにあたって、周囲の人々への取材も行っている。川尻監督は恋愛を題材にするにあたり、女性の気持ちを自分だけで想像することはできないと考え、知人を通じて同人活動を行う人や、主人公に近い属性の人々など、さまざまな相手に話を聞いた。自身の悩みを先に話すことで、相手からも率直な話を聞き出せたという。門脇監督も、友人や中高時代の同級生らに、子どもの頃の記憶を尋ねた。特に、嬉しかったことや悲しかったことなど、感情を伴う具体的なエピソードを聞き取り、記録しておくのだという。その後、演出上必要な場面に出会ったとき、過去の取材で聞いた出来事を思い出し、作品に取り入れていったと明かした。
続いて、アニメーションにおける記号的な表現について議論が及んだ。門脇監督は、記号化を完全に排除しようとしたわけではないと説明する。日本のアニメーションや漫画で受け継がれてきたデザインには、それが残り続けてきた理由や機能がある。そこで『我々は宇宙人』では、キャラクターを遠くから見たときには従来の漫画やアニメに見られる記号的な表現を用い、近くで見たときにはまつ毛や鼻などの細部を描き込むという使い分けを試みた。記号的なデザインをそのまま採用するのではなく、どのような要素が人物の表情や印象を形作っているのかを考えながら、距離に応じた描写を探っていったという。
川尻監督も、現実にある特徴をそのまま線にすると、かえって老けて見えるなど、漫画的な絵としての魅力との間にずれが生じると指摘した。現実の人物らしさを保ちながら、漫画の線としてどう表現すれば魅力的になるのか。その答えを探る過程そのものを、作品の中に取り込もうとしたという。また『CHERRY AND VIRGIN』では、主人公2人の絵柄が異なることを積極的に生かした。キャラクターデザイナーそれぞれの絵柄を尊重し、異なる価値観や視点を持つ2人が同じ画面に存在することを、作品の特徴としている。
両作の人物表現を支える技法として、ロトスコープの使い方も取り上げられた。門脇監督は、特に子どもの動きを描くためにこの技法が必要だったと説明する。子どもは、歩いたり走ったりする際にも、上半身と下半身が別々の動きをしたり、重心を崩して転びそうになったりする。アニメーションの基礎として学ぶ動きの法則だけでは捉えにくい、そうした不規則な身体の動きを1から描くことは難しい。ロトスコープによって実際の動きを参照することで、観客に「自分や友人のようだ」という懐かしさを感じてもらうことを目指したという。
ただし、実写の動きをそのままなぞればよいわけではない。現実の動きに忠実であるほど、アニメーションならではの誇張や動きの気持ちよさが失われる場合もある。門脇監督は、カットごとにロトスコープの弱点がどこに現れるかを判断し、コマ数や動きを調整した。撮影に参加する子役もオーディションで選び、身体的な特徴よりも、主人公たちとの性格の近さや、2人の仲のよさを重視したという。
一方、川尻監督にとってロトスコープは、主にレイアウトをコントロールするための手段だった。限られた予算のなかで制作体制を組むにあたり、まず実写映像を撮影して画面の構図を決め、その上でアニメーションの作画を進める方法を採った。ただし、同作では漫画家がキャラクターデザインや原画に参加しているため、ロトスコープ特有の生々しい動きをそのまま残すことは避けたかったという。実写の動きを参考にしながら、プロのアニメーターが中割りを調整し、日本のリミテッドアニメーションとして整理していった。役者の演技を一度そのまま撮影し、そこからアニメーションとして必要な動きを残し、不要な動きを取り除くという工程である。また、役者の意見を聞き、特に女性主人公の台詞については、川尻監督自身の理解だけで決めず、演じる側の感覚を反映させたと語った。
背景美術についても、両監督の考え方が示された。門脇監督は、人物と背景を画面の中で一体化させ、人間も風景の一部として描くことを重視した。作品を観た人に希望を持ち帰ってもらうためには、世界に存在するさまざまなものを見落とさずに描く必要があるという。道路も単なる通路ではなく、よく見れば赤や青の色があり、蟻の巣があるかもしれない。そうした細部をすくい上げることが、世界の見え方を豊かにすると説明した。さらに、背景のどこが動いてもおかしくない状態を作ることにもこだわった。キャラクターが触れるものだけが動くという画面上の約束を崩し、人物と建物や自然が同じ世界に存在しているという感覚を生み出そうとするため、門脇監督自身が全カットの編集や色の調整を担当し、背景と作画をなじませていったという。
川尻監督は、異なる絵柄や様式が混在する『CHERRY AND VIRGIN』では、シーンの主役に応じて背景の様式を決めるというルールを設けたと説明した。漫画の絵は漫画の絵として見せることを基本としながらも、画面が単に素材を組み合わせただけのものに見えないよう、撮影処理の加減をカットごとに調整したという。
制作上の困難について尋ねられると、川尻監督は、男性主人公のキャラクターデザインを担当した漫画家・高柳カツヤが、デザインだけでなく作画にも参加することになった経緯を挙げた。高柳が自身で作画を手がけたいと希望したことを受け入れるには、制作規模やスケジュールの面で大きな決断が必要だった。「本当に漫画の絵が動くものができる」という期待と、「完成しないかもしれない」という不安の間で揺れながらも、実現に踏み切ったと振り返った。
門脇監督は、脚本と構成をめぐる長い試行錯誤を紹介した。絵コンテを編集したVコンテを何度も作り直し、最終的には100回以上の改稿を重ねたという。一度は完成形に近づいたと考えていたものの、ラッシュを見せた時に「つまらない」という率直な意見を受け、物語を大きく組み替えることになった。すでに作画が半分ほど進んでいた段階で、制作中のカットを手放す可能性も抱えながら、約3カ月にわたって構成を練り直した。最終的には、登場人物たちが出会う理由を、個々の関係性だけでなく、複数の出来事が結びついてひとつの事実を浮かび上がらせる構造として捉え直したという。
質疑応答では、自分のアイデアに対する不安や、制作中に生じる迷いとの向き合い方が問われた。川尻監督は、現在の自分のこだわりを絶対視せず、1年後、2年後にも同じように重要だと思えるかを考え、必要であれば切り捨てると答えた。門脇監督も、ひとつの作品に多くのテーマを詰め込むと物語が散漫になるため、愛着のあるアイデアであっても、必要なものを選び、別の機会に残すことが大切だと語った。
異なる制作環境や表現方法を持つ2人の話からは、人物を自分の価値観だけで動かすのではなく、他者の経験や感覚を取り込みながら、画面の細部にまで自らの世界の見方を反映させようとする姿勢がうかがえた。
第39回東京国際映画祭のアニメーション部門シンポジウム「
残酷で優しい世界を描く」が11月3日、東京ミッドタウン日比谷 ホールHALL1で開催され、『
CHERRY AND VIRGIN』の川尻将由監督と『
我々は宇宙人』の門脇康平監督が登壇した。モデレーターはアニメーション部門プログラミングアドバイザーの藤津亮太。両作は作風も物語も異なるが、人間を理想化せず、かといって否定的な側面だけを強調することもなく、記号化されない人物の姿を描いている点に共通性がある。シンポジウムでは、キャラクターの造形やロトスコープの活用、背景美術、物語の構成などをめぐり、2人の監督がそれぞれの制作過程を語った。
まず話題となったのは、2人の主人公の関係性とキャラクターの着想について。川尻監督は、『CHERRY AND VIRGIN』の男女主人公について、自身が過去や現在に抱いてきた思いを反映させ、「自分のインナースペースで戦っている2人」として構想したと説明した。異性との関係を築くことの難しさも作品に込めているという。一方、門脇監督も、自身の人生経験を直接的に、あるいは脚色しながらキャラクターに取り入れたと語った。
両監督は、脚本やキャラクターを考えるにあたって、周囲の人々への取材も行っている。川尻監督は恋愛を題材にするにあたり、女性の気持ちを自分だけで想像することはできないと考え、知人を通じて同人活動を行う人や、主人公に近い属性の人々など、さまざまな相手に話を聞いた。自身の悩みを先に話すことで、相手からも率直な話を聞き出せたという。門脇監督も、友人や中高時代の同級生らに、子どもの頃の記憶を尋ねた。特に、嬉しかったことや悲しかったことなど、感情を伴う具体的なエピソードを聞き取り、記録しておくのだという。その後、演出上必要な場面に出会ったとき、過去の取材で聞いた出来事を思い出し、作品に取り入れていったと明かした。
続いて、アニメーションにおける記号的な表現について議論が及んだ。門脇監督は、記号化を完全に排除しようとしたわけではないと説明する。日本のアニメーションや漫画で受け継がれてきたデザインには、それが残り続けてきた理由や機能がある。そこで『我々は宇宙人』では、キャラクターを遠くから見たときには従来の漫画やアニメに見られる記号的な表現を用い、近くで見たときにはまつ毛や鼻などの細部を描き込むという使い分けを試みた。記号的なデザインをそのまま採用するのではなく、どのような要素が人物の表情や印象を形作っているのかを考えながら、距離に応じた描写を探っていったという。
川尻監督も、現実にある特徴をそのまま線にすると、かえって老けて見えるなど、漫画的な絵としての魅力との間にずれが生じると指摘した。現実の人物らしさを保ちながら、漫画の線としてどう表現すれば魅力的になるのか。その答えを探る過程そのものを、作品の中に取り込もうとしたという。また『CHERRY AND VIRGIN』では、主人公2人の絵柄が異なることを積極的に生かした。キャラクターデザイナーそれぞれの絵柄を尊重し、異なる価値観や視点を持つ2人が同じ画面に存在することを、作品の特徴としている。
両作の人物表現を支える技法として、ロトスコープの使い方も取り上げられた。門脇監督は、特に子どもの動きを描くためにこの技法が必要だったと説明する。子どもは、歩いたり走ったりする際にも、上半身と下半身が別々の動きをしたり、重心を崩して転びそうになったりする。アニメーションの基礎として学ぶ動きの法則だけでは捉えにくい、そうした不規則な身体の動きを1から描くことは難しい。ロトスコープによって実際の動きを参照することで、観客に「自分や友人のようだ」という懐かしさを感じてもらうことを目指したという。
ただし、実写の動きをそのままなぞればよいわけではない。現実の動きに忠実であるほど、アニメーションならではの誇張や動きの気持ちよさが失われる場合もある。門脇監督は、カットごとにロトスコープの弱点がどこに現れるかを判断し、コマ数や動きを調整した。撮影に参加する子役もオーディションで選び、身体的な特徴よりも、主人公たちとの性格の近さや、2人の仲のよさを重視したという。
一方、川尻監督にとってロトスコープは、主にレイアウトをコントロールするための手段だった。限られた予算のなかで制作体制を組むにあたり、まず実写映像を撮影して画面の構図を決め、その上でアニメーションの作画を進める方法を採った。ただし、同作では漫画家がキャラクターデザインや原画に参加しているため、ロトスコープ特有の生々しい動きをそのまま残すことは避けたかったという。実写の動きを参考にしながら、プロのアニメーターが中割りを調整し、日本のリミテッドアニメーションとして整理していった。役者の演技を一度そのまま撮影し、そこからアニメーションとして必要な動きを残し、不要な動きを取り除くという工程である。また、役者の意見を聞き、特に女性主人公の台詞については、川尻監督自身の理解だけで決めず、演じる側の感覚を反映させたと語った。
背景美術についても、両監督の考え方が示された。門脇監督は、人物と背景を画面の中で一体化させ、人間も風景の一部として描くことを重視した。作品を観た人に希望を持ち帰ってもらうためには、世界に存在するさまざまなものを見落とさずに描く必要があるという。道路も単なる通路ではなく、よく見れば赤や青の色があり、蟻の巣があるかもしれない。そうした細部をすくい上げることが、世界の見え方を豊かにすると説明した。さらに、背景のどこが動いてもおかしくない状態を作ることにもこだわった。キャラクターが触れるものだけが動くという画面上の約束を崩し、人物と建物や自然が同じ世界に存在しているという感覚を生み出そうとするため、門脇監督自身が全カットの編集や色の調整を担当し、背景と作画をなじませていったという。
川尻監督は、異なる絵柄や様式が混在する『CHERRY AND VIRGIN』では、シーンの主役に応じて背景の様式を決めるというルールを設けたと説明した。漫画の絵は漫画の絵として見せることを基本としながらも、画面が単に素材を組み合わせただけのものに見えないよう、撮影処理の加減をカットごとに調整したという。
制作上の困難について尋ねられると、川尻監督は、男性主人公のキャラクターデザインを担当した漫画家・高柳カツヤが、デザインだけでなく作画にも参加することになった経緯を挙げた。高柳が自身で作画を手がけたいと希望したことを受け入れるには、制作規模やスケジュールの面で大きな決断が必要だった。「本当に漫画の絵が動くものができる」という期待と、「完成しないかもしれない」という不安の間で揺れながらも、実現に踏み切ったと振り返った。
門脇監督は、脚本と構成をめぐる長い試行錯誤を紹介した。絵コンテを編集したVコンテを何度も作り直し、最終的には100回以上の改稿を重ねたという。一度は完成形に近づいたと考えていたものの、ラッシュを見せた時に「つまらない」という率直な意見を受け、物語を大きく組み替えることになった。すでに作画が半分ほど進んでいた段階で、制作中のカットを手放す可能性も抱えながら、約3カ月にわたって構成を練り直した。最終的には、登場人物たちが出会う理由を、個々の関係性だけでなく、複数の出来事が結びついてひとつの事実を浮かび上がらせる構造として捉え直したという。
質疑応答では、自分のアイデアに対する不安や、制作中に生じる迷いとの向き合い方が問われた。川尻監督は、現在の自分のこだわりを絶対視せず、1年後、2年後にも同じように重要だと思えるかを考え、必要であれば切り捨てると答えた。門脇監督も、ひとつの作品に多くのテーマを詰め込むと物語が散漫になるため、愛着のあるアイデアであっても、必要なものを選び、別の機会に残すことが大切だと語った。
異なる制作環境や表現方法を持つ2人の話からは、人物を自分の価値観だけで動かすのではなく、他者の経験や感覚を取り込みながら、画面の細部にまで自らの世界の見方を反映させようとする姿勢がうかがえた。