2026.11.04 [インタビュー]
「これは、セルビアの若者たちについての映画であり、若者たちのための映画です」コンペティション部門『今日が終わるまで』公式インタビュー

東京国際映画祭公式インタビュー 2026年11月2日
コンペティション部門『今日が終わるまで』 →作品詳細
今日が終わるまで

©2026 TIFF

イェレナ・マクシモヴィッチ(監督/脚本)

 

2024年、セルビアのノヴィ・サド駅で起こった崩落事故をきっかけに起こった学生運動を背景に、活動家のレナと保守派のステファンの革命と恋が綴られる異色のロードムービー。政治的には対極にあるふたりが、家族や社会からの自由を求めてさすらう風景に詩情が満ちている。現在大きな変革を迎えようとしているセルビアの政治状況を踏まえ、新鋭イェレナ・マクシモヴィッチ監督に語っていただいた。

 

 

──本作のきっかけとなったノヴィ・サド駅の屋根崩落事故と、それを機に学生運動が勃発したことについて簡単に教えていただけますか?

 

イェレナ・マクシモヴィッチ監督(以下、マクシモヴィッチ監督):ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は6つの独立国家に解体・分裂されました。その中にはEUに加盟した国もあればそうでない国もあり、セルビアは加盟しませんでした。その後セルビアは14年間にわたって独裁政治が行われたため、非常に貧しい国になってしまったのです。政治は腐敗し、あらゆるものが売り払われ、私たちは実質的に「ヨーロッパのゴミ捨て場」のようになってしまいました。
そんななか、ノヴィ・サド駅の屋根が崩落するという事故が起こりました。16人が死亡、1人が重傷を負うという痛ましい事故です。これがすべての発端です。 この事故はあからさまな汚職やずさんな工事・改修の結果だったため、人々は深い衝撃と悲しみに包まれました。皆が犠牲者を追悼し、敬意を表すために毎日16分間の黙祷を行っていました。
ところが、その16分間の黙祷の最中、私の所属する大学の映画学部の学生たちを政府側の警察らが襲撃し、暴力行為を行ったのです。 そこで学生たちは「大学を封鎖して抗議行動を起こそう」と立ち上がりました。あの悲劇的な事故から数日後のことです。
今日が終わるまで

 

──Q&Aの際、学生たちが支持していた野党勢力が選挙で勝利を収めた、とおっしゃっていましたが、現在の状況についても教えてください。

 

マクシモヴィッチ監督:ほんの数日前のことです。信じられない思いでした。この抗議活動は2年の間、毎日続けられていました。私たちも学生を支援して、直接行動に参加しました。学生たちは国中を徒歩や自転車で巡り、「私たちの側に立ってくれ」と訴え続けました。皆の不満の声を結集するよう鼓舞したのです。
私自身はアナキストであり議会制民主主義には反対なので、最初は「選挙か…」と少し冷めた気持ちで見ていました。しかし、何かが変わることが極めて重要だったのです。もちろん彼らに投票しました。 元大統領は本当にクレイジーな人物なので、敗北を認めないのではないか、路上で物理的な衝突が起こるのではないかと、皆が覚悟していたのです。
しかし、最終的には約72%というセルビア史上例を見ない投票率の選挙となり、勝てることが分かったのです。すると元大統領はあっさり敗北を認めました。ただし彼は非常に狡猾な人物なので、今後何が起こるか分かりません。潔く降りたように見せかけた上で金銭の着服や証拠隠滅のための時間稼ぎをしている可能性もあります。今後も油断はできないと思っています。
現在ではフランス、イタリア、スペイン、そして信じられないことにスイスでも、ヨーロッパ各地で激しい暴動が起きています。その中でセルビアの若者たちは一切暴力を使わず、非暴力を貫きました。旧政権側は暴力を挑発してきましたが、学生たちは決して乗りませんでした。ヨーロッパ中が「どうやって非暴力を貫けたのか」と驚嘆しています。

 

──本作の撮影にあたってはどのようなことを意識されていましたか?

 

マクシモヴィッチ監督:抗議運動が始まったとき、脚本の冒頭を書き直すべきだと思いました。もともとは犬の保護シェルターから始まる設定にしていたのですが、今の状況ではもはや重要な場所にはならないと感じ、封鎖された大学から始めることにしたのです。 冒頭の場所は実際に封鎖された大学です。小道具やセットデザインを用いてはいますが、微調整しかしていません。撮影許可を得るには学生の全体集会で議決を取る必要があり、非常に大変でした。 私にとってこれは「セルビアの若者たちについての映画」であり「若者たちのための映画」です。現実の出来事を反映させないのは不自然でした。彼らに響く作品であってほしいと思っています。
ほぼすべてのロケ地はベオグラードにある、私にとって非常に個人的で重要な場所です。何か月も歩き回り、写真を撮り、撮影監督や美術デザイナーとロケハンして議論を重ねました。郊外のシーンは2016年に友人と一緒に映画の脚本を執筆した場所で、私自身の個人的な記憶と結びついた特別な場所です。

 

──脚本執筆の作業はどのように進められたのでしょうか?

 

マクシモヴィッチ監督:最初は自分ひとりで書き始めました。イヴァン・サラティッチは映画監督で、私は彼の作品の編集を担当しています。昔からの友人です。新しいバージョンのシナリオができるたびに彼に読んでもらい、意見や感想をもらっていました。 全体の構成が固まった後、オルガ・ディミトリイェヴィッチに台詞のブラッシュアップや、シーンのリズムや順序が適切かどうかの確認を依頼しました。 そして綿密な演出台本を書き上げたのち、撮影監督とともに細部を詰めていきました。予算も時間も限られていたため、準備の段階で緻密な設計をした上で、現場ではそれを実行するだけという形にする必要があったのです。 現場で演出を変えたのは数シーン程度で、アドリブは一切ありません。後半の自然のシーンで、俳優たちに少し自由に演じてもらった程度です。彼らには台詞を完璧に暗記してもらい、リハーサルを通じて彼らの解釈を取り入れながら精度を高めていきました。非常に万全な準備ができていたと思います。

 

──主演のおふたり、レナ役とステファン役のキャスティングの経緯や起用理由は?

 

マクシモヴィッチ監督:レナ役のレナ・トリフノヴィッチこそが、この脚本のアイデアを思いついたきっかけでした。私が講師をしていたワークショップに彼女が参加していたんです。当時はまだ17歳でしたが、「彼女ならこの映画を背負える」と確信しました。まだ脚本もない段階で「何年後かになるけど、映画の出演に興味ある?」と聞いたら、「クレイジーな話ね。でも興味はある」と言われました(笑)。 数年後、彼女は舞台となっているドラマ芸術学部に入学し、実際に大学封鎖の抗議活動にも参加していたのです。すべての要素がパズルのように完璧に噛み合いました。
ステファン役のアンドリヤ・クリヴォカピッチも私の教え子です。レナとの対比を考え、筋肉質な男性を探して街頭でスカウトなどを試みましたがうまくいきませんでした。 実際のアンドリヤは映画のキャラクターとは全く違って、非常に知的で映画好きの青年です。水球選手のようながっしりした体つきをしているので「髪型を変えれば完璧だ」と気づき、彼を起用することに決めました。
今日が終わるまで

 

──音楽が本当に素敵でした。音楽・音響へのこだわりをお聞かせいただけますか?

 

マクシモヴィッチ監督:私はこれまでずっと音楽に夢中でした。様々なジャンルの音楽、フォークも聴けば、メタルやパンクも聴きます。今作ではセルビアの若いバンドへ敬意を表すつもりで、若い世代が作った曲をいくつか使いました。 バーのシーンで流れる本格的なフォークミュージックは、ユーゴスラビア時代の非常に有名なバンドの曲です。私の地元を象徴する音楽で、タフガイたちがこぞって聴くような曲です。実は私の兄もそういったタフガイのひとりなんです。私の人生の背景と深く結びついている音楽たちです。

 

──ラストシーンの素晴らしさについて説明していただくのは野暮かもしれませんが、あえてあのシーンの意図や工夫を教えていただけますか?

 

マクシモヴィッチ監督:自然の中で彼らが完全に理性を失い、誰から逃げているのかすら分からなくなっているという着想です。近隣住民からなのか、警察からなのか、家族からなのか、自分自身からなのか。 映画の冒頭も様式的表現によってリアリズムからの脱却を意図しているのですが、ラストシーンでもリアリズムから逃れようと試みています。 主人公のふたりは決して孤独でなく、映画のその先で新たな革命が起きるかもしれないという予感を残したかったのです。
劇中のレナのモノローグに、初恋の人について語る叔父の話が出てきます。これは私の祖父の実話で、第二次世界大戦でナチスと戦ったパルチザンに言及しています。そのため、このラストシーンを「森から出てきて新たな革命へと向かうパルチザン」として解釈する人もいました。私自身がそのように意図したわけではないですが、そう捉えるのも興味深い視点だと思います。

 

インタビュー/構成:岩槻 歩(「映画芸術」編集部)
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