2026.11.02 [インタビュー]
「子どもが遊ぶ時のように物語は自然と湧き出る」コンペティション部門『妹兄とマンホールの蓋』公式インタビュー

東京国際映画祭公式インタビュー 2026年10月31日
コンペティション部門『妹兄とマンホールの蓋』 →作品詳細
妹兄とマンホールの蓋

©2026 TIFF

ミルチョ・マンチェフスキ(監督/脚本)

 

貧しい妹マリナと兄のヴィクトルは、マンホールの蓋や銅製の胸像を盗み、闇業者に売って暮らしている。ある日、ヴィクトルが盗みの最中に重傷を負ったのをきっかけに、ふたりはスコピエの街の周辺部をさまよい、思いがけない避難場所へ導かれる。機転は利くが心臓の病を抱える妹と、サッカー好きで知的障害のある兄の姿を通して、貧富の差が増し、家族と社会が機能不全に陥った時代に、どんな人間同士の共感が可能なのかを描いた一作。冴えた語り口の物語を、ワールド・プレミアで持ってきてくれた北マケドニアの名匠にお話をうかがった。

 

──スコピエの街には銅像が沢山あります。街の風景から物語を思いついたのですか。

 

ミルチョ・マンチェフスキ監督(以下、マンチェフスキ監督):「スコピエ2014」と呼ばれる都市開発の国家プロジェクトがあり、当時の政府が歴史にさらなる焦点を当てようとしていた時期に、一夜にして街中に数多くの新しい銅像が建ち並びました。ですから、そうした街の光景にインスピレーションを受けているかもしれません。しかし私にとってより直接的なきっかけとなったのは、私の家の近くの都市公園に、子どもの頃からあった革命家や詩人の胸像がいつしか台座だけになり、胸像は消えていたことにあります。それらは新しい胸像に取り替えられたのに、その新しい像すらも消えてしまい、これは一体どうなっているんだろうと──。でも、それは最初のひらめきにすぎません。私の創作法はこうしたひらめきから子どものように物語をもてあそび、物語がどこへ自分を連れて行ってくれるのかを見届けるというものです。そして幸運なことに、この物語は私を思いも寄らない場所へ連れて行ってくれたのです。

 

──胸像もマンホールの蓋も、本作では闇業者に売られる盗品のひとつです。

 

マンチェフスキ監督:胸像は偉大な過去を象徴し、高い位置に掲げられますが、マンホールの蓋は社会から汚れた地下世界を隠すためにあり、足元にあって誰も気に留めません。しかし、妹兄はその蓋を引き剥がすことで、腐敗した社会の暗部と向き合わざるを得なくなります。

 

──頭の回転が速い妹と知的障害のある兄、目の見えない老婆トドラ。3人のキャラクターに奥行きがあって見事でした。脚本を書く際、どのように肉付けしていったのでしょう。

 

マンチェフスキ監督:彼らは、私がこれまでに創作した人物、夢、出会った人々、精神医学で言う元型(アーキタイプ)、文学や伝説など、さまざまな位相から生まれてきます。私は物語を語る際、常に自然発生的であろうとしています。ですから直感の赴くままに書き進め、キャラクターが向かう先につき従い、もし袋小路に突き当たったら引き返して別の道を選んでまた進み続けます。物語を語る技術は私の中に完全に内面化されており、まるで子どもが遊ぶ時のように自然と湧き出てくるのです。

 

──マリナ役のサラ・クリモスカ、ヴィクトル役のフィリップ・トライコヴィッチ、トドラ役のソニャ・ミハイロヴァは、『カイマック』にも出演しています。脚本は彼らへの当て書きですか?

 

マンチェフスキ監督:いいえ(笑)。脚本を書いている時はただ書くことに集中し、監督の作業を始める時、脚本家の自分をクビにするんです。だから、書き終えてからキャスティングを行い、非常に多くの時間をかけて多くの人たちを見た結果、同じ俳優たちに行き着いたのです。

 

──3人とも素晴らしい演技を披露していますが、どんな演技指導をされたのでしょう?

 

マンチェフスキ監督:3週間リハーサルを行い、その間に俳優の意見に耳を傾け、うまくいけば拍手を送り、うまくいかなければ修正を加えました。物事を正しく形にするためにその3週間が不可欠でした。

 

──サラ・クリモスカさんのダンスシーンは即興ですか?

 

マンチェフスキ監督:即興です。私の唯一の指示は「奇妙に、そして角張った動きにしてほしい」ということだけでした(笑)。
妹兄とマンホールの蓋

 

──兄妹が犯罪に手を染めるくだりは、かつての「ニュー・ハリウッド」の映画のようなユーモアに溢れています。本作を作る際、何か参考にしたアメリカ映画はありましたか?

 

マンチェフスキ監督:きっとあると思いますが意識的なものではありません。考えていたことのひとつは、『ファーゴ』におけるコーエン兄弟のユーモアです。また、60年代のチェコスロバキア映画のことも考えていました。

 

──ミロシュ・フォアマンとか?

 

マンチェフスキ監督:ミロシュ・フォアマン。そうです。

 

──悪徳医師、ブラッド・ピットと呼ばれる闇業者、兄妹の父親に、監督は、国や社会、家族が機能しなくなった現代を象徴させています。彼らはみな酷い人間ですが、役柄的にはコメディ・レリーフの役割も帯びているように見受けられます。こうした脇役の描き方にはどんな配慮をされましたか?

 

マンチェフスキ監督:彼らは、ただ場面をコミカルにするために存在するのでなく、実在する人間として感じられる必要があります。ですから、画面に映る時間がごく短時間であっても彼らの背景をしっかりと作り、本格派の俳優を起用しました。注意深く見れば、単なるジョーク以上の深みが各人の登場する場面に見て取れるはずです。確かにこの映画は笑える作品ですが、ドラマであり、心理的な描写もあります。私はジャンルによる押し付けは好まないので、通り一遍のコメディにすることはありません。

 

──トドラが登場する中盤から、映画はロードムービーから室内劇に様変わりします。それまで物語を牽引してきたマリナが一転して状況を理解する立場になり、目の見えないトドラが物語を支配します。このギアチェンジは、貧富の差を金銭面だけでなく、心の問題として扱いたかった監督の意欲の現れでしょうか?

 

マンチェフスキ監督:さあ、どうでしょう(笑)。私が抱いていた感覚は、映画はロードムービーのように爆発的で賑やかなトーンで始まり、焦点を切り替えるようにピントを変え、閉所恐怖症的で濃密な室内心理劇へと変化すべきだということでした。観客は往々にして単一のトーンを好む傾向があるので、危険を伴うことは承知していましたが、そのほうがより面白くなると考えたのです。
妹兄とマンホールの蓋

 

──マリナがチキンをドカ食いするシーンはどんな意味があるのでしょう。

 

マンチェフスキ監督:あのシーンのアイデアには明確な出所があります。私のパートナーから聞いた話で、彼女の祖父は危篤になった時、しばらく床に伏していたのですが、最期の日になって猛烈に何かを食べたがり、まるで動物のように飢えた様子を見せたというのです。「自分が死にかけていると感じた時に激しい空腹を覚えた」というその話に、私は至極腑に落ちるものを感じたのです。これが何を意味するか、映画を観た皆さんにはお分かりいただけるでしょう。

 

──ベッドに座ってトドラが泣いているシーンは?

 

マンチェフスキ監督:幾通りもの物語をお話できます。たとえば、彼女は自分の息子の死を悟ったからだと言うこともできますし、見知らぬ妹兄と一緒にいる危険を察知したからだとも言えます。しかし実際のところは、そうしたムードや瞬間が映画の中に存在する必要があると感じただけです。私にとってあれはただ自然発生的なものであり、合理的な説明をするために作ったシーンではありません。観客の皆さんが自身の物語を見出してくれることを願っています。

 

──ラストも自然発生的なものですか?

 

マンチェフスキ監督:私は自分のことを、物語や登場人物たちのための媒介役にすぎないと感じています。創作上の観点から言えば、私はハッピーエンドよりも悲劇のほうが満足感を得られるのです。理由は分かりません。おそらく悲劇のほうが、より完結しているからかもしれません。

 

インタビュー/構成:赤塚成人(四月社)
新着ニュース

  • ショートドラマ特別企画
  • 都営交通キャンペーン 都営地下鉄、都営バスに乗って会場でもらおう