東京国際映画祭公式インタビュー 2026年10月30日
コンペティション部門『腹喜(フーシー) 四つの饗宴奇譚』 →作品詳細

©2026 TIFF
チウ・ジョンジョン(監督/脚本/美術・右から2番目)、リー・カンション(俳優・左から2番目)、リー・ホンチー(俳優・右)、アニー・チェン(俳優・左)
まだ人類に尻尾が残っていた太古、人類に農耕を教えた王がいた古代、東坡肉など現代も親しまれる料理を生み出した蘇東坡の北宋時代、そして90年代から冥界にまで至る中国の四川地方が、この美しいファンタジー『腹喜(フーシー) 四つの饗宴奇譚』の舞台だ。それぞれの世界で、登場人物たちは時に賑やかに時にひっそりと自分の食事を楽しむ。どうにもならないことが多い無常の世界に生きていても、今日、何を食べ誰に会うかは選ぶことができて、そうした日常を守ることが心を救うことにつながる──作品に込められた監督の想いを聞いた。
──タイトルは四川方言ですね。「満腹による幸せ」「腹の底からの喜び」とのことですが、四話目の死後の世界で男の子が「誕生日にフーシーを食べようとした」と言っていました。「腹喜(フーシー)」という言葉には誕生日の食事という意味もあるのでしょうか。ほかにもタイトルにこめられた意味があれば教えていただきたいです。
チウ・ジョンジョン監督(以下、チウ監督):これは四川方言で、子どものころにおじいちゃんやおばあちゃんが「フーシーしよう」「フーシーを食べよう」と言っていたのを聞いた記憶があります。名詞にも動詞にもなる言葉で、私にとっては「美食」や「それを楽しむ」という意味です。四川の中でも古典的な表現で、今では使う人が少なくなりました。自分の思い出から呼び起こした言葉です。

──中国の美味ということなら、満漢全席のように宮廷料理を撮ろうとする人も多いと思いますが、庶民的な食事を取り上げられたのはそうした思い出のためなんでしょうか。
チウ監督:それは、私が庶民だからです。私も宇宙の中で暮らす小さな個人にすぎません。だからこそ小さな個人の楽しみ、庶民がごはんを食べる「腹喜(フーシー)」の楽しみを描きたかったのです。日常を生きる庶民の尊厳を描きたいと思いました。だからこそ身近なもの、おばあちゃんの料理のようなものを描きたかったのです。
私の作品は普通の人、小さな雑草のような人々を描くことが多いです。宇宙の中の小さな命が自分たちの日常を守っている姿を撮りたいのです。そこに輝きがあると思っています。
──蘇東坡がフィーチャーされているのは、食通の文化人という以上に、政治に翻弄されて貧しい生活になっても豊かに人生を楽しんだ人だからということなんですね。
チウ監督:蘇東坡が目の前にいるので簡単に話しますね(笑)。蘇東坡は作家性がある人だと思うんです。彼にはふたつの本質があると思っていまして、ひとつは机で、そこからたくさんの詩や文章を生み出していたんです。でも机に向かっていても書けないこともありますよね。書くことができなくなると彼は厨房に行くわけです。机で詩を書き、気晴らしに厨房に行っていたんです。彼はフーシーを通じて自らを奮い立たせ、溝の中に沈んだ月を再び昇らせ、他者をも感動させ影響を及ぼしていきました。つまり、ここでは創作を表しているんです。個人がどうやって自分の体験や生命を記していけるか、創作していけるかということを入れているわけです。
政治の影響だけでなく、人間の生死というのは無常なものです。それは太陽と月の運行みたいなものですけれども、これは人間が制御できることではない。人間というのは無常な存在なんです。では人間がコントロールできるものは何かと言ったら、それは一食の食事の楽しみ、おいしさなんです。それこそがフーシーの意義なんです。
──「月を昇らせる」とおっしゃった、その“月”とはクリエイティビティやインスピレーションの象徴ですか?
チウ監督:映画の中で月が溝に落ちるのですが、それは人間の苦境を象徴しています。フーシーという日常の営みを守ることで、溝の中の月が再び昇り、人々の心を照らし出すのです。日常を守ることが自己救済につながります。人生には変えられないことはたくさんありますし、不可逆なこともたくさんあります。でもその中で自分を救うことがとても大切で、その方法が一回の食事やそこで持たれる人々の交流、団欒なんですね。
──リー・カンションさんは太古の時代でのおばあさん役やおばさん役を楽しそうに演じられていて印象的でしたし、アニー・チェンさんの演技もパワフルでした。リー・ホンチーさんの蘇東坡役も、シーンごとにカツラが変わるなど大変だったと思いますが、どんな現場だったか教えてください。
リー・カンション:最初、オファーをもらったときは、おばあさんの役ですし、「なんで私にこの役を?」と思いました(笑)。最初にやらなければならなかったことは、四川の楽山(らくさん)方言の習得でした。台北で成都出身の先生について学び、現場に入ってからも学んで、3人の先生に教わることになりました。川を渡ったらもう言葉が違うというような地域なので、一生懸命勉強しました。
演じた役はふたつ(おばあさんとヤオ・グーアル)ですが、おばあさんを演じるにあたっては、古代は女性の権威がもっと大きかったのではないか、狩りに出る孫たちを励ましたりして女性の長が大きな権威を持っていたのではないかと想像して演じました。

アニー・チェン:私にとっては、自分を思いきり解放できた経験でした。私はいつも脚本を読むときに、どうしてこうなったのか、原因と結果との関連などを分析しながら読むのですが、今回は神話のような架空の古代が舞台だったので、監督が与えてくれた自由も大きかったんです。スタジオ内での撮影でしたが、想像の余地がたくさんあって幸せでした。あまり束縛がない状態で演技できたと思います。この時代の登場人物はすべて自然で、服や靴が売っているわけでもなく、なんでもその場で調達しています。お腹いっぱいになれば幸せで、辛いことがあればお酒を飲むというナチュラルな世界で楽しかったです。もちろん、リー・カンションさんと同じで四川方言の習得などはしなければなりませんでした。事前の準備は大変でしたが、撮影が始まってからは自然の流れに身を任せ、心の動くままに演技できたと思います。

──一方、リー・ホンチーさん演じる蘇東坡は、権力者の意向で地方を転々とする大変な役どころでした。しかも実際の撮影現場でのメイクなども大変だったと思いますが。
リー・ホンチー:人づてに「チウ・ジョンジョン監督が映画で演じてほしい役があると言っているらしいよ」と聞いて、脚本も読まずに「出ます、スケジュールも空けます」と即答したんです。そのあと監督と会って蘇東坡の役だと聞いて、正直ちょっと抵抗感があったんですね。蘇東坡といえば中国文化でも最も偉大な人物のひとりですから、自分は若いし、こんなに重厚な役を表現しきれるのだろうかと。
でも、監督が用意した美術セットや絵画を思い浮かべて気持ちが軽くなったんです。監督が欲しがっているのは、文献に描かれた歴史上の蘇東坡ではなくて、チウ・ジョンジョン式の蘇東坡なんだと気づいたからです。歩き方や持病といった歴史的ディテールを追うのはやめて、蘇東坡の人生に対して開けた姿勢を演じることに立ち返りました。30代、40代で各地に左遷され、その土地にある食材で料理を作り、その土地の酒を飲まなければならない。そういう状況でも蘇東坡は心が開いている。そうした人物を演じようと思いました。
もうひとつ付け加えると、監督はもっとも料理が上手な監督でもあるんですけど、それだけでなくメイクの腕も素晴らしいんです。メイクさんにも「眉毛をもう少し上げた方がいい」と細かく指示を出されていました。最終的な私の姿は、監督が描いた絵画そのものでした。監督の頭の中ですべてのイメージが完成していたのだと思います。

──劇中で圧倒されたのは美術と情景の美しさです。四川の伝統的な織物のような布を使って波を表現するなど、中国の伝統絵画の要素を感じました。美術や大道具のインスピレーションはどこから得たのでしょうか?
チウ監督:あれは伝統的な織物のシルクではなく普通の布です。シルクは高価すぎて使えません(笑)。私は舞台出身なので、もともと舞台美術に関心がありました。その後、映画史を学んだのですが、古典的映画の美術を重視する価値観を継承していると思います。メリエス、フェリーニ、ジャック・タチなどの舞台的で作家性の強い視覚表現に関心があったんです。波を布で表現するのも舞台劇の手法です。それらを自分自身の映画言語として昇華させています。
日本の監督を挙げていなかったのですが、ひとり挙げるなら小林正樹監督の映画『怪談』のような舞台的表現からも影響を受けています。さらに、1960〜70年代の中国の伝統劇映画(戯曲映画)の影響も大きいです。
──四川の歴史や文化に深く根ざした物語ですが、香港、台湾、日本などが参加する国際共同製作となっています。国際共同製作にした意図や意義、中国国内だけで製作する場合との違いがあれば教えてください。
チウ監督:映画はすべての人類が理解できる映像言語であるべきで、国境を越えて伝達し、交流できるものだと思っています。異なる文化がぶつかり合い交流することは現代の芸術創作において非常に意味があることで、国際製作にはそういう意義があると思います。国内製作との違いについては、私は6年に1本しか映画を撮らない寡作な監督なのであまりわかりません。
──四川を舞台にした地域色の強い物語でありながら、普遍的な物語として受け取れるということでしょうか?
チウ監督:その通りです。「フーシー」は人類共通の言語であり、音楽のようなものだと思っています。「ライオン・キング」の「ハクナ・マタタ」のように、人類共通の歓びや情緒を表すフレーズだと考えていただければと思います。
インタビュー/構成:遠藤京子(日本映画ペンクラブ)
東京国際映画祭公式インタビュー 2026年10月30日
コンペティション部門『腹喜(フーシー) 四つの饗宴奇譚』 →作品詳細

©2026 TIFF
チウ・ジョンジョン(監督/脚本/美術・右から2番目)、リー・カンション(俳優・左から2番目)、リー・ホンチー(俳優・右)、アニー・チェン(俳優・左)
まだ人類に尻尾が残っていた太古、人類に農耕を教えた王がいた古代、東坡肉など現代も親しまれる料理を生み出した蘇東坡の北宋時代、そして90年代から冥界にまで至る中国の四川地方が、この美しいファンタジー『腹喜(フーシー) 四つの饗宴奇譚』の舞台だ。それぞれの世界で、登場人物たちは時に賑やかに時にひっそりと自分の食事を楽しむ。どうにもならないことが多い無常の世界に生きていても、今日、何を食べ誰に会うかは選ぶことができて、そうした日常を守ることが心を救うことにつながる──作品に込められた監督の想いを聞いた。
──タイトルは四川方言ですね。「満腹による幸せ」「腹の底からの喜び」とのことですが、四話目の死後の世界で男の子が「誕生日にフーシーを食べようとした」と言っていました。「腹喜(フーシー)」という言葉には誕生日の食事という意味もあるのでしょうか。ほかにもタイトルにこめられた意味があれば教えていただきたいです。
チウ・ジョンジョン監督(以下、チウ監督):これは四川方言で、子どものころにおじいちゃんやおばあちゃんが「フーシーしよう」「フーシーを食べよう」と言っていたのを聞いた記憶があります。名詞にも動詞にもなる言葉で、私にとっては「美食」や「それを楽しむ」という意味です。四川の中でも古典的な表現で、今では使う人が少なくなりました。自分の思い出から呼び起こした言葉です。

──中国の美味ということなら、満漢全席のように宮廷料理を撮ろうとする人も多いと思いますが、庶民的な食事を取り上げられたのはそうした思い出のためなんでしょうか。
チウ監督:それは、私が庶民だからです。私も宇宙の中で暮らす小さな個人にすぎません。だからこそ小さな個人の楽しみ、庶民がごはんを食べる「腹喜(フーシー)」の楽しみを描きたかったのです。日常を生きる庶民の尊厳を描きたいと思いました。だからこそ身近なもの、おばあちゃんの料理のようなものを描きたかったのです。
私の作品は普通の人、小さな雑草のような人々を描くことが多いです。宇宙の中の小さな命が自分たちの日常を守っている姿を撮りたいのです。そこに輝きがあると思っています。
──蘇東坡がフィーチャーされているのは、食通の文化人という以上に、政治に翻弄されて貧しい生活になっても豊かに人生を楽しんだ人だからということなんですね。
チウ監督:蘇東坡が目の前にいるので簡単に話しますね(笑)。蘇東坡は作家性がある人だと思うんです。彼にはふたつの本質があると思っていまして、ひとつは机で、そこからたくさんの詩や文章を生み出していたんです。でも机に向かっていても書けないこともありますよね。書くことができなくなると彼は厨房に行くわけです。机で詩を書き、気晴らしに厨房に行っていたんです。彼はフーシーを通じて自らを奮い立たせ、溝の中に沈んだ月を再び昇らせ、他者をも感動させ影響を及ぼしていきました。つまり、ここでは創作を表しているんです。個人がどうやって自分の体験や生命を記していけるか、創作していけるかということを入れているわけです。
政治の影響だけでなく、人間の生死というのは無常なものです。それは太陽と月の運行みたいなものですけれども、これは人間が制御できることではない。人間というのは無常な存在なんです。では人間がコントロールできるものは何かと言ったら、それは一食の食事の楽しみ、おいしさなんです。それこそがフーシーの意義なんです。
──「月を昇らせる」とおっしゃった、その“月”とはクリエイティビティやインスピレーションの象徴ですか?
チウ監督:映画の中で月が溝に落ちるのですが、それは人間の苦境を象徴しています。フーシーという日常の営みを守ることで、溝の中の月が再び昇り、人々の心を照らし出すのです。日常を守ることが自己救済につながります。人生には変えられないことはたくさんありますし、不可逆なこともたくさんあります。でもその中で自分を救うことがとても大切で、その方法が一回の食事やそこで持たれる人々の交流、団欒なんですね。
──リー・カンションさんは太古の時代でのおばあさん役やおばさん役を楽しそうに演じられていて印象的でしたし、アニー・チェンさんの演技もパワフルでした。リー・ホンチーさんの蘇東坡役も、シーンごとにカツラが変わるなど大変だったと思いますが、どんな現場だったか教えてください。
リー・カンション:最初、オファーをもらったときは、おばあさんの役ですし、「なんで私にこの役を?」と思いました(笑)。最初にやらなければならなかったことは、四川の楽山(らくさん)方言の習得でした。台北で成都出身の先生について学び、現場に入ってからも学んで、3人の先生に教わることになりました。川を渡ったらもう言葉が違うというような地域なので、一生懸命勉強しました。
演じた役はふたつ(おばあさんとヤオ・グーアル)ですが、おばあさんを演じるにあたっては、古代は女性の権威がもっと大きかったのではないか、狩りに出る孫たちを励ましたりして女性の長が大きな権威を持っていたのではないかと想像して演じました。

アニー・チェン:私にとっては、自分を思いきり解放できた経験でした。私はいつも脚本を読むときに、どうしてこうなったのか、原因と結果との関連などを分析しながら読むのですが、今回は神話のような架空の古代が舞台だったので、監督が与えてくれた自由も大きかったんです。スタジオ内での撮影でしたが、想像の余地がたくさんあって幸せでした。あまり束縛がない状態で演技できたと思います。この時代の登場人物はすべて自然で、服や靴が売っているわけでもなく、なんでもその場で調達しています。お腹いっぱいになれば幸せで、辛いことがあればお酒を飲むというナチュラルな世界で楽しかったです。もちろん、リー・カンションさんと同じで四川方言の習得などはしなければなりませんでした。事前の準備は大変でしたが、撮影が始まってからは自然の流れに身を任せ、心の動くままに演技できたと思います。

──一方、リー・ホンチーさん演じる蘇東坡は、権力者の意向で地方を転々とする大変な役どころでした。しかも実際の撮影現場でのメイクなども大変だったと思いますが。
リー・ホンチー:人づてに「チウ・ジョンジョン監督が映画で演じてほしい役があると言っているらしいよ」と聞いて、脚本も読まずに「出ます、スケジュールも空けます」と即答したんです。そのあと監督と会って蘇東坡の役だと聞いて、正直ちょっと抵抗感があったんですね。蘇東坡といえば中国文化でも最も偉大な人物のひとりですから、自分は若いし、こんなに重厚な役を表現しきれるのだろうかと。
でも、監督が用意した美術セットや絵画を思い浮かべて気持ちが軽くなったんです。監督が欲しがっているのは、文献に描かれた歴史上の蘇東坡ではなくて、チウ・ジョンジョン式の蘇東坡なんだと気づいたからです。歩き方や持病といった歴史的ディテールを追うのはやめて、蘇東坡の人生に対して開けた姿勢を演じることに立ち返りました。30代、40代で各地に左遷され、その土地にある食材で料理を作り、その土地の酒を飲まなければならない。そういう状況でも蘇東坡は心が開いている。そうした人物を演じようと思いました。
もうひとつ付け加えると、監督はもっとも料理が上手な監督でもあるんですけど、それだけでなくメイクの腕も素晴らしいんです。メイクさんにも「眉毛をもう少し上げた方がいい」と細かく指示を出されていました。最終的な私の姿は、監督が描いた絵画そのものでした。監督の頭の中ですべてのイメージが完成していたのだと思います。

──劇中で圧倒されたのは美術と情景の美しさです。四川の伝統的な織物のような布を使って波を表現するなど、中国の伝統絵画の要素を感じました。美術や大道具のインスピレーションはどこから得たのでしょうか?
チウ監督:あれは伝統的な織物のシルクではなく普通の布です。シルクは高価すぎて使えません(笑)。私は舞台出身なので、もともと舞台美術に関心がありました。その後、映画史を学んだのですが、古典的映画の美術を重視する価値観を継承していると思います。メリエス、フェリーニ、ジャック・タチなどの舞台的で作家性の強い視覚表現に関心があったんです。波を布で表現するのも舞台劇の手法です。それらを自分自身の映画言語として昇華させています。
日本の監督を挙げていなかったのですが、ひとり挙げるなら小林正樹監督の映画『怪談』のような舞台的表現からも影響を受けています。さらに、1960〜70年代の中国の伝統劇映画(戯曲映画)の影響も大きいです。
──四川の歴史や文化に深く根ざした物語ですが、香港、台湾、日本などが参加する国際共同製作となっています。国際共同製作にした意図や意義、中国国内だけで製作する場合との違いがあれば教えてください。
チウ監督:映画はすべての人類が理解できる映像言語であるべきで、国境を越えて伝達し、交流できるものだと思っています。異なる文化がぶつかり合い交流することは現代の芸術創作において非常に意味があることで、国際製作にはそういう意義があると思います。国内製作との違いについては、私は6年に1本しか映画を撮らない寡作な監督なのであまりわかりません。
──四川を舞台にした地域色の強い物語でありながら、普遍的な物語として受け取れるということでしょうか?
チウ監督:その通りです。「フーシー」は人類共通の言語であり、音楽のようなものだと思っています。「ライオン・キング」の「ハクナ・マタタ」のように、人類共通の歓びや情緒を表すフレーズだと考えていただければと思います。
インタビュー/構成:遠藤京子(日本映画ペンクラブ)