東京国際映画祭公式インタビュー2026年10月31日
コンペティション部門『木々は見ている』→作品詳細

©2026 TIFF
自然と人間の関わりを描く作家ダリアは、耳の聞こえない娘コニーと愛犬を伴い、子ども時代に住んだトルコのマルディン地方を再訪する。仲良しだった姉妹がかつて暮らしていた家に宿泊するなか、彼女は椅子が動く奇怪な現象に遭遇し、自らの胸に眠るトラウマ的感情に責め苛まれる。2021年に『四つの壁』がコンペ部門で上映された、トルコ在住のクルド人映画作家バフマン・ゴバディの最新作。「人は死んだら木になる」という自らの思いを映画にこめた作品で、ホラー的要素は多々あるものの、監督は自らの純粋なヴィジョンを反映させた作品であるという。エヴァ・グリーンを主役に配し、これまでで最もハリウッド的な作品を手がけた監督にお話をうかがった。
──5年前、『四つの壁』をこの映画祭で上映したとき、監督は「人は死んだら木になると信じています」と、お話しされていました。今回、まさしくその言葉に基づく作品を作ったわけですが、これはクルドに伝わる伝承なのでしょうか?
バフマン・ゴバディ監督(以下、ゴバディ監督):伝承ではなく私個人の考え方です。私はイランを追放され、19年間望まぬ亡命生活を送っており、多くの良き友人や家族を失いました。アルツハイマーを患い記憶を失いつつある母とも、もう12年も会えていません。その孤独のなかで、私は木々や自然、木製の調度品に心が惹かれるようになっていきました。
心の中で物に命を与え、魂を吹き込み、心を通わせることは一種の瞑想です。イラクのクルド人詩人シェルコ・ベカス(Sherko Bekas)の詩も、私に大きな影響を与えてくれました。「家に帰り、扉や壁やあらゆる物に挨拶をした。窓以外のすべてが答えてくれた。なぜ答えてくれないのかと尋ねても、窓は黙ったまま。すると扉が代わりに答えた。『お前が長い間、その手を縛りつけて閉ざしていたからだ』」
この詩を読んで以来、私は常に窓を開けておくようになりました。ホテルでも自宅でも、雨が吹き込むと分かっていても開けておきます。無意識のうちに、自分だけの宗教のようなものを作り上げたかのようです。写真の額縁を見ればそこに祖父がいると感じ、机を拭くのも以前のようにただ拭くだけでなく、愛おしむように撫でます。そうすることが、孤独からより良き糧を得る手助けとなったのです。
──ストーリーはどう構想したのでしょう?
ゴバディ監督:大枠のストーリーは、クルディスタンで実際に起きた母親と二人姉妹の事件をもとにしており、少々手を加えて映画的に脚色しました。トイレの話もテヘランの友人から聞いたいくつかの話を織り交ぜ、私が半分ほど改変したもので、私自身の精神状態や魂、意識・無意識が私の筆に入り込み、この映画が生まれました。映画の中に登場する詩を書いていた日々、私は椅子と人間が争う夢を本当に見ました。つまり、この映画の核心部分は私の夢から来ているのです。

──新作を手がける際、いつも心に留めていることは?
ゴバディ監督:観客は私たち作り手よりもはるかに鋭敏で、深い眼差しを持ち、先を行っています。なぜなら私たちはひとつのプロジェクトに追われ、2〜3年も予算集めに奔走しているうちに、アイデアは賞味期限切れになってしまうからです。ですから、それに負けない力強いアイデアを、いつもひとつかふたつ映画に持ち込むことを心がけています。
先程、窓の話をしましたが、私は自分をフィルムメーカーではなく、「窓づくりの職人」と見なしています。私は穴を穿ち、叩き壊して、窓を作ることを許してくれる壁を探しているんです。それは、今まで私たちが見たことのなかった世界や人生の一部を、初めてそこから見渡せるような窓です。いまのフィルムメーカーたちはすでに作られた窓ばかりに向かい、そのフレームを変えているだけのように思えます。私にとって「窓づくりの職人」という肩書きこそ、新しいものをもたらすことのできる映画監督にふさわしいものです。しかし映画は共同作業であり、残念ながら私は常に孤独に仕事を進めてきました。
──映画は酷いトラウマを抱え、子ども時代に仲がよかった姉妹のことをよく思い出せないダリアを主人公とし、彼女は故郷を離れて生きてきたクルド人です。これは監督自身の姿と重なるのでは?
ゴバディ監督:確かに重なりますが、ダリアが絶対に私でなければならないとまでは考えていませんでした。映画の舞台になったトルコ南部の町マルディンは、アラブ人、シリア正教徒、トルコ人、クルド人が隣り合って生活を送り、完全な平穏の中にあります。全員が共生しており、分断を望む者もいなければ衝突も緊張もありません。そうした町の風土からも着想を得ており、ダリアが必ずしもクルド人でなければならないわけではありませんでした。
──ダリアを演じたエヴァ・グリーンとのコラボレーションはいかがでしたか?
ゴバディ監督:エヴァは素晴らしい友人です。これまで一緒に仕事をしてきた中で、最も仕事のしやすい俳優でした。多忙だったにもかかわらず、この物語をとても気に入ってくれて、すぐに「出演する」と言ってくれました。そして、日々の脚本変更への柔軟な対応からギャラの面に至るまで、他の大型プロジェクトとは全く違う接し方で私たちを尊重してくれました。彼女は唯一無二の存在です。本当に心から気に入って注目していた特別な俳優のひとりで、いつか彼女と仕事をするのが夢でした。彼女はハリウッドの大作に追われていると知っていたので、本当に夢のような話でした。エヴァの顔立ちこそがこの映画そのものでした。どこか異邦の雰囲気、哀愁、独特の存在感が彼女を唯一無二にしています。
──彼女が操るのはトルコ語の手話ですか?
ゴバディ監督:いえ、国際手話です。彼女のために国際手話の指導員をつけました。国ごとに独自の手話がありますからね。私たちは世界中で伝わるようにしたかったので、1か月~1か月半ほどコーチをつけてこのセリフの量の手話を練習してもらいました。
──コニー役の少女は本当に聴覚に障害を持つ子役ですね?
ゴバディ監督:耳の不自由な子役と意思疎通を図ることに苦労しました。その女の子はトルコの手話を使うため、私の指示をまずトルコ語の通訳に伝え、そこからトルコ手話の通訳を通じて彼女に伝え、さらに国際手話の指導員を介してエヴァに国際手話の動作を伝えるのです。現場でのコミュニケーションは本当に大変でした。
普段、私はカメラが回っている最中に子役に演技をつけるスタイルなのですが、これが本当に難しかった。過去の映画で子供たちと仕事をした時は、現場でカメラが回るなか、そばに行ってあれこれと直接指示を出し、後から私の声を編集で消していましたが、彼女にはそれが一切できなかったからです。現場で私が直接声をかけても彼女には届かず、まず通訳を見て通訳が何と言っているかを確認しなければならず、非常に困難な作業でした。
──残りの子役たちの演技も素晴らしかったです。彼らの配役はどう決めたのですか?
ゴバディ監督:あの子たちはイランから連れてきました。私のクルド語とトルコのクルド人の子どもたちの言葉は大きく異なり、意思疎通が難しく良い演技を引き出すことができないため、イランから呼び寄せたのです。
──刑事役のムラト・ユルドゥルムさんはトルコの人気俳優ですね。彼の出演はどういう風に決めたんでしょうか?
ゴバディ監督:ムラトはマルディンの町の出身なんです。それが理由です。エヴァ・グリーンとの対比で、黒い目と黒い眉を持つ人を探していたというのもありました。
──映画には10分ほどの長い回想シーンが2回あり、最初にトイレ修理の男が事故死してトイレに行けなくなるニハルの話が出てきます。このシーンの回想部分は、実は全部ニハルの話であり、ダリアの記憶というよりは、亡霊となったスピンがダリアに、ニハルのトラウマ体験を教えてあげていると解釈できます。監督自らの意図は?
ゴバディ監督:あれは「第3の目」、つまり監督の視点です。見えなかった部分を知る者として、子どもたちの実話を知る監督がフラッシュバックとして配置しているのです。

──『四つの壁』も『木々は見ている』も車の事故シーンが非常に怖いのですが?
ゴバディ監督:実を言うと、アメリカのプロデューサーたちに、「もし私のヴィジョンを活かせる仕事があるなら、私もあなた方と同じような映画が作れますよ」と、監督の技量を誇示したかったということがあります。しかしそれを除いても『木々は見ている』の事故シーンは非常に象徴的な意味を持っています。ここでは木々が人間に復讐を果たしているのです。
あのシーンでは、インディペンデント映画でありながら、私たちは本当に車を調達して谷底へ突き落としました。2~3カットは本物でなければならなかったからです。なぜこんなことを言うかというと、私たちは次の日のパンにも困るほどの節約をして、徹底したインディペンデントの体制でこの映画を作ったからです。
──劇中で一種のキャラクターのようになっている椅子ですが、腰掛けの部分に赤い革張りがあり、背もたれの部分に目のかたちをした空洞があります。椅子のフォルムにも何か特別な意図がありますか?
ゴバディ監督:革張りの赤は母親が付けていたショールの赤であり、背もたれを目のフレームにくり抜いて、椅子が人間を見ているようにしてあります。椅子は私自身がデザインしました。
──監督自身の母親への思いはこの作品に投影されておりますか?
ゴバディ監督:私の人生において最も優しく、最も素晴らしく、神のような存在であったのは、私の母です。私が映画監督になるきっかけを作ってくれた唯一の人も母でした。この映画の中の母親は、クルディスタンで起きた実際の事件の母親からインスピレーションを受けており、もし父親が子どもたちを苦しめていたなら、父親をそう描いたでしょう。
取材・テキスト構成:赤塚成人(四月社)
東京国際映画祭公式インタビュー2026年10月31日
コンペティション部門『木々は見ている』→作品詳細

©2026 TIFF
自然と人間の関わりを描く作家ダリアは、耳の聞こえない娘コニーと愛犬を伴い、子ども時代に住んだトルコのマルディン地方を再訪する。仲良しだった姉妹がかつて暮らしていた家に宿泊するなか、彼女は椅子が動く奇怪な現象に遭遇し、自らの胸に眠るトラウマ的感情に責め苛まれる。2021年に『四つの壁』がコンペ部門で上映された、トルコ在住のクルド人映画作家バフマン・ゴバディの最新作。「人は死んだら木になる」という自らの思いを映画にこめた作品で、ホラー的要素は多々あるものの、監督は自らの純粋なヴィジョンを反映させた作品であるという。エヴァ・グリーンを主役に配し、これまでで最もハリウッド的な作品を手がけた監督にお話をうかがった。
──5年前、『四つの壁』をこの映画祭で上映したとき、監督は「人は死んだら木になると信じています」と、お話しされていました。今回、まさしくその言葉に基づく作品を作ったわけですが、これはクルドに伝わる伝承なのでしょうか?
バフマン・ゴバディ監督(以下、ゴバディ監督):伝承ではなく私個人の考え方です。私はイランを追放され、19年間望まぬ亡命生活を送っており、多くの良き友人や家族を失いました。アルツハイマーを患い記憶を失いつつある母とも、もう12年も会えていません。その孤独のなかで、私は木々や自然、木製の調度品に心が惹かれるようになっていきました。
心の中で物に命を与え、魂を吹き込み、心を通わせることは一種の瞑想です。イラクのクルド人詩人シェルコ・ベカス(Sherko Bekas)の詩も、私に大きな影響を与えてくれました。「家に帰り、扉や壁やあらゆる物に挨拶をした。窓以外のすべてが答えてくれた。なぜ答えてくれないのかと尋ねても、窓は黙ったまま。すると扉が代わりに答えた。『お前が長い間、その手を縛りつけて閉ざしていたからだ』」
この詩を読んで以来、私は常に窓を開けておくようになりました。ホテルでも自宅でも、雨が吹き込むと分かっていても開けておきます。無意識のうちに、自分だけの宗教のようなものを作り上げたかのようです。写真の額縁を見ればそこに祖父がいると感じ、机を拭くのも以前のようにただ拭くだけでなく、愛おしむように撫でます。そうすることが、孤独からより良き糧を得る手助けとなったのです。
──ストーリーはどう構想したのでしょう?
ゴバディ監督:大枠のストーリーは、クルディスタンで実際に起きた母親と二人姉妹の事件をもとにしており、少々手を加えて映画的に脚色しました。トイレの話もテヘランの友人から聞いたいくつかの話を織り交ぜ、私が半分ほど改変したもので、私自身の精神状態や魂、意識・無意識が私の筆に入り込み、この映画が生まれました。映画の中に登場する詩を書いていた日々、私は椅子と人間が争う夢を本当に見ました。つまり、この映画の核心部分は私の夢から来ているのです。

──新作を手がける際、いつも心に留めていることは?
ゴバディ監督:観客は私たち作り手よりもはるかに鋭敏で、深い眼差しを持ち、先を行っています。なぜなら私たちはひとつのプロジェクトに追われ、2〜3年も予算集めに奔走しているうちに、アイデアは賞味期限切れになってしまうからです。ですから、それに負けない力強いアイデアを、いつもひとつかふたつ映画に持ち込むことを心がけています。
先程、窓の話をしましたが、私は自分をフィルムメーカーではなく、「窓づくりの職人」と見なしています。私は穴を穿ち、叩き壊して、窓を作ることを許してくれる壁を探しているんです。それは、今まで私たちが見たことのなかった世界や人生の一部を、初めてそこから見渡せるような窓です。いまのフィルムメーカーたちはすでに作られた窓ばかりに向かい、そのフレームを変えているだけのように思えます。私にとって「窓づくりの職人」という肩書きこそ、新しいものをもたらすことのできる映画監督にふさわしいものです。しかし映画は共同作業であり、残念ながら私は常に孤独に仕事を進めてきました。
──映画は酷いトラウマを抱え、子ども時代に仲がよかった姉妹のことをよく思い出せないダリアを主人公とし、彼女は故郷を離れて生きてきたクルド人です。これは監督自身の姿と重なるのでは?
ゴバディ監督:確かに重なりますが、ダリアが絶対に私でなければならないとまでは考えていませんでした。映画の舞台になったトルコ南部の町マルディンは、アラブ人、シリア正教徒、トルコ人、クルド人が隣り合って生活を送り、完全な平穏の中にあります。全員が共生しており、分断を望む者もいなければ衝突も緊張もありません。そうした町の風土からも着想を得ており、ダリアが必ずしもクルド人でなければならないわけではありませんでした。
──ダリアを演じたエヴァ・グリーンとのコラボレーションはいかがでしたか?
ゴバディ監督:エヴァは素晴らしい友人です。これまで一緒に仕事をしてきた中で、最も仕事のしやすい俳優でした。多忙だったにもかかわらず、この物語をとても気に入ってくれて、すぐに「出演する」と言ってくれました。そして、日々の脚本変更への柔軟な対応からギャラの面に至るまで、他の大型プロジェクトとは全く違う接し方で私たちを尊重してくれました。彼女は唯一無二の存在です。本当に心から気に入って注目していた特別な俳優のひとりで、いつか彼女と仕事をするのが夢でした。彼女はハリウッドの大作に追われていると知っていたので、本当に夢のような話でした。エヴァの顔立ちこそがこの映画そのものでした。どこか異邦の雰囲気、哀愁、独特の存在感が彼女を唯一無二にしています。
──彼女が操るのはトルコ語の手話ですか?
ゴバディ監督:いえ、国際手話です。彼女のために国際手話の指導員をつけました。国ごとに独自の手話がありますからね。私たちは世界中で伝わるようにしたかったので、1か月~1か月半ほどコーチをつけてこのセリフの量の手話を練習してもらいました。
──コニー役の少女は本当に聴覚に障害を持つ子役ですね?
ゴバディ監督:耳の不自由な子役と意思疎通を図ることに苦労しました。その女の子はトルコの手話を使うため、私の指示をまずトルコ語の通訳に伝え、そこからトルコ手話の通訳を通じて彼女に伝え、さらに国際手話の指導員を介してエヴァに国際手話の動作を伝えるのです。現場でのコミュニケーションは本当に大変でした。
普段、私はカメラが回っている最中に子役に演技をつけるスタイルなのですが、これが本当に難しかった。過去の映画で子供たちと仕事をした時は、現場でカメラが回るなか、そばに行ってあれこれと直接指示を出し、後から私の声を編集で消していましたが、彼女にはそれが一切できなかったからです。現場で私が直接声をかけても彼女には届かず、まず通訳を見て通訳が何と言っているかを確認しなければならず、非常に困難な作業でした。
──残りの子役たちの演技も素晴らしかったです。彼らの配役はどう決めたのですか?
ゴバディ監督:あの子たちはイランから連れてきました。私のクルド語とトルコのクルド人の子どもたちの言葉は大きく異なり、意思疎通が難しく良い演技を引き出すことができないため、イランから呼び寄せたのです。
──刑事役のムラト・ユルドゥルムさんはトルコの人気俳優ですね。彼の出演はどういう風に決めたんでしょうか?
ゴバディ監督:ムラトはマルディンの町の出身なんです。それが理由です。エヴァ・グリーンとの対比で、黒い目と黒い眉を持つ人を探していたというのもありました。
──映画には10分ほどの長い回想シーンが2回あり、最初にトイレ修理の男が事故死してトイレに行けなくなるニハルの話が出てきます。このシーンの回想部分は、実は全部ニハルの話であり、ダリアの記憶というよりは、亡霊となったスピンがダリアに、ニハルのトラウマ体験を教えてあげていると解釈できます。監督自らの意図は?
ゴバディ監督:あれは「第3の目」、つまり監督の視点です。見えなかった部分を知る者として、子どもたちの実話を知る監督がフラッシュバックとして配置しているのです。

──『四つの壁』も『木々は見ている』も車の事故シーンが非常に怖いのですが?
ゴバディ監督:実を言うと、アメリカのプロデューサーたちに、「もし私のヴィジョンを活かせる仕事があるなら、私もあなた方と同じような映画が作れますよ」と、監督の技量を誇示したかったということがあります。しかしそれを除いても『木々は見ている』の事故シーンは非常に象徴的な意味を持っています。ここでは木々が人間に復讐を果たしているのです。
あのシーンでは、インディペンデント映画でありながら、私たちは本当に車を調達して谷底へ突き落としました。2~3カットは本物でなければならなかったからです。なぜこんなことを言うかというと、私たちは次の日のパンにも困るほどの節約をして、徹底したインディペンデントの体制でこの映画を作ったからです。
──劇中で一種のキャラクターのようになっている椅子ですが、腰掛けの部分に赤い革張りがあり、背もたれの部分に目のかたちをした空洞があります。椅子のフォルムにも何か特別な意図がありますか?
ゴバディ監督:革張りの赤は母親が付けていたショールの赤であり、背もたれを目のフレームにくり抜いて、椅子が人間を見ているようにしてあります。椅子は私自身がデザインしました。
──監督自身の母親への思いはこの作品に投影されておりますか?
ゴバディ監督:私の人生において最も優しく、最も素晴らしく、神のような存在であったのは、私の母です。私が映画監督になるきっかけを作ってくれた唯一の人も母でした。この映画の中の母親は、クルディスタンで起きた実際の事件の母親からインスピレーションを受けており、もし父親が子どもたちを苦しめていたなら、父親をそう描いたでしょう。
取材・テキスト構成:赤塚成人(四月社)