第39回東京国際映画祭コンペティション部門の一作『
妹兄とマンホールの蓋』のQ&Aが10月30日、ヒューリックホール東京で行われ、ミルチョ・マンチェフスキ監督と、出演者のサラ・クリモスカ、フィリップ・トライコビッチが登壇した。
舞台は、北マケドニアの首都スコピエの周縁部。貧しい生活を送る兄妹ヴィクトルとマリナは、銅製の胸像やマンホールの蓋を盗み、スクラップとして売りさばくことで、その日の糧を得ている。ある日、盗み出した国家的英雄の胸像がヴィクトルの足の上に落下し、彼は大けがを負う。この思いがけない事故をきっかけに、兄妹はスコピエという都市の底辺を、あてどなくさまよっていくことになる。
本作は、『ビフォア・ザ・レイン』(1994)でベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いたマンチェフスキ監督の最新作。前作『カイマック』(2022)に続いて、社会からこぼれ落ちた人々の尊厳を、ユーモアと寓話性を交えて見つめ、コミカルな展開のなかに、現代社会へのさまざまな批評を織り込んでいる。
冒頭、登壇者たちはそれぞれ、日本を訪れることのできた喜びを述べ、映画祭関係者や観客のホスピタリティに感謝を示した。そして、いつかまた日本を訪れる機会を得たい、との思いも口々に語った。
司会を務めた市山尚三プログラミング・ディレクターから、経済的に困窮する兄妹がマンホールの蓋や銅像を盗み、それを売って生計を立てるという設定の着想について問われると、マンチェフスキ監督は自身の家の近くに銅像が置かれていたという経験に触れた。現在、その場所には台座だけが残り、肝心の銅像は失われてしまったという。さらに、銅像のレプリカが作られたものの、それもまた再び盗まれるという出来事があったと説明した。盗まれ、消え、また盗まれる——そうした現実の記憶が、本作の着想の源の一つとなっているようだ。
監督は、自身がリサーチを好むと語り、調査を通じて、鉄くずが1キログラム当たり3ユーロで売買されていることなどを知ったという。こうした調査を重ねるなかで、実際に金属を盗んで暮らす人々の視点から物語を描きたいと考えるようになった。彼らは社会のなかで不可視の存在とされ、英雄的なものとは正反対のものとして扱われている。監督は、そうした人々の側から社会を描くことを目指したと語った。さらに、現代社会が抱える大きな問題の一つとして経済格差を挙げたうえで、その主題を扱いながらも作品が説教臭くならないよう、あくまでユーモアを交えて描くことを意識したと述べた。
マリナを演じるサラ・クリモスカが劇中で披露するダンスについては、演じる側の視点から質問が寄せられた。クリモスカは、ダンスはあらかじめ脚本にも記されていた一方で、マンチェフスキ監督とともにリサーチを重ねるなかから、いわゆる「風変わりな」ダンスを考案し、即興で披露した部分もあったと明かした。また、リサーチは監督だけが担うのではなく、俳優たちも加わって共同で進められたという。役を外から与えられるのではなく、調査の過程からともに立ち上げていく、協働のあり方がうかがえる発言だ。
さらに、劇中に登場するブラジル、あるいはブラジルを想起させる事物についても質問が寄せられた。兄がサッカーを愛好していることに加え、作中にスラム街も現れる。監督によれば、そうした場所は実際の地図に公的に記載されているわけではなく、「コパカバーナ」という名称からのインスピレーション、サッカーをめぐるイメージも含めて、想像力を通じて構築されたものだという。また、CMのような映像表現のなかに皮肉やコミカルな要素を織り交ぜつつ、夢やキリストのイメージをメタファーとして用いていると説明した。
最後に、劇中で兄妹が交流する盲目の女性について質問が寄せられた。彼女は、自らの子どもが兄妹の手にかかって命を落としたことを知りながらも、なお二人を無条件に歓待する人物として描かれている。マンチェフスキ監督は、彼女を強靱さと赦しの精神を兼ね備えた存在として説明した。さらに、トトウという人物像には、兄妹がともに抱く「家族を築きたい」という願いもまた込められており、それは必ずしも血縁によって結ばれた家族ではなく、他者と関係を取り結び、連帯するなかで形づくられていく家族のあり方であるとして、トークを締めくくった。
第39回東京国際映画祭は11月4日まで、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区で開催。
第39回東京国際映画祭コンペティション部門の一作『
妹兄とマンホールの蓋』のQ&Aが10月30日、ヒューリックホール東京で行われ、ミルチョ・マンチェフスキ監督と、出演者のサラ・クリモスカ、フィリップ・トライコビッチが登壇した。
舞台は、北マケドニアの首都スコピエの周縁部。貧しい生活を送る兄妹ヴィクトルとマリナは、銅製の胸像やマンホールの蓋を盗み、スクラップとして売りさばくことで、その日の糧を得ている。ある日、盗み出した国家的英雄の胸像がヴィクトルの足の上に落下し、彼は大けがを負う。この思いがけない事故をきっかけに、兄妹はスコピエという都市の底辺を、あてどなくさまよっていくことになる。
本作は、『ビフォア・ザ・レイン』(1994)でベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いたマンチェフスキ監督の最新作。前作『カイマック』(2022)に続いて、社会からこぼれ落ちた人々の尊厳を、ユーモアと寓話性を交えて見つめ、コミカルな展開のなかに、現代社会へのさまざまな批評を織り込んでいる。
冒頭、登壇者たちはそれぞれ、日本を訪れることのできた喜びを述べ、映画祭関係者や観客のホスピタリティに感謝を示した。そして、いつかまた日本を訪れる機会を得たい、との思いも口々に語った。
司会を務めた市山尚三プログラミング・ディレクターから、経済的に困窮する兄妹がマンホールの蓋や銅像を盗み、それを売って生計を立てるという設定の着想について問われると、マンチェフスキ監督は自身の家の近くに銅像が置かれていたという経験に触れた。現在、その場所には台座だけが残り、肝心の銅像は失われてしまったという。さらに、銅像のレプリカが作られたものの、それもまた再び盗まれるという出来事があったと説明した。盗まれ、消え、また盗まれる——そうした現実の記憶が、本作の着想の源の一つとなっているようだ。
監督は、自身がリサーチを好むと語り、調査を通じて、鉄くずが1キログラム当たり3ユーロで売買されていることなどを知ったという。こうした調査を重ねるなかで、実際に金属を盗んで暮らす人々の視点から物語を描きたいと考えるようになった。彼らは社会のなかで不可視の存在とされ、英雄的なものとは正反対のものとして扱われている。監督は、そうした人々の側から社会を描くことを目指したと語った。さらに、現代社会が抱える大きな問題の一つとして経済格差を挙げたうえで、その主題を扱いながらも作品が説教臭くならないよう、あくまでユーモアを交えて描くことを意識したと述べた。
マリナを演じるサラ・クリモスカが劇中で披露するダンスについては、演じる側の視点から質問が寄せられた。クリモスカは、ダンスはあらかじめ脚本にも記されていた一方で、マンチェフスキ監督とともにリサーチを重ねるなかから、いわゆる「風変わりな」ダンスを考案し、即興で披露した部分もあったと明かした。また、リサーチは監督だけが担うのではなく、俳優たちも加わって共同で進められたという。役を外から与えられるのではなく、調査の過程からともに立ち上げていく、協働のあり方がうかがえる発言だ。
さらに、劇中に登場するブラジル、あるいはブラジルを想起させる事物についても質問が寄せられた。兄がサッカーを愛好していることに加え、作中にスラム街も現れる。監督によれば、そうした場所は実際の地図に公的に記載されているわけではなく、「コパカバーナ」という名称からのインスピレーション、サッカーをめぐるイメージも含めて、想像力を通じて構築されたものだという。また、CMのような映像表現のなかに皮肉やコミカルな要素を織り交ぜつつ、夢やキリストのイメージをメタファーとして用いていると説明した。
最後に、劇中で兄妹が交流する盲目の女性について質問が寄せられた。彼女は、自らの子どもが兄妹の手にかかって命を落としたことを知りながらも、なお二人を無条件に歓待する人物として描かれている。マンチェフスキ監督は、彼女を強靱さと赦しの精神を兼ね備えた存在として説明した。さらに、トトウという人物像には、兄妹がともに抱く「家族を築きたい」という願いもまた込められており、それは必ずしも血縁によって結ばれた家族ではなく、他者と関係を取り結び、連帯するなかで形づくられていく家族のあり方であるとして、トークを締めくくった。
第39回東京国際映画祭は11月4日まで、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区で開催。