10/26(月)コンペティション部門『ヘイゼル85』上映後に、テオドラ・アナ・ミハイさん(監督/脚本)、ヴィオレット・ブレックマンさん(俳優)をお迎えし、Q&Aが行われました。
→ 作品詳細

市山尚三プログラミング・ディレクター(以下、市山PD): 監督のテオドラ・アナ・ミハイさん、主演俳優のヴィオレット・ブレックマンさんです。
テオドラ・アナ・ミハイ監督(以下、監督):まず、映画祭の方々、ご招待いただきありがとうございます。とても光栄に思っています。そして、皆さま、観にきていただいてどうもありがとうございます。少し観づらいというか、簡単に観られる映画ではありませんがこのテーマが大切だと思っていただければと願っています。40年前に起こった実際の出来事に着想を得て作っている映画ですが、今まさに起こっていることに非常に関係していると感じていただきたいです。
ヴィオレット・ブレックマンさん(以下、ヴィオレットさん):この映画祭にお招きいただいてとても感謝しております。実は、今年の初めに日本に来たのですが、また日本に来ることができてとても嬉しいです。
市山PD:テオドラ・アナ・ミハイ監督は3作連続で東京国際映画祭のコンペティションで上映しています。今年も素晴らしい作品を作られたので、早めに招待して是非とも来ていただきたいと思いまして、今回の上映が実現しました。
『ヘイゼル85』は1985年に起こった事件です。僕もまだ学生でしたがよく覚えています。フーリガンの1つで最も犠牲者の多い事件として日本でも報道されたので、すごく記憶に残っています。
その時は、単なるサポーター同士の争いだと報道されたのですが、この映画を観て様々なことが分かりました。例えば、そこに民族的な問題があり、さらにスタジアムが壊れたというですね、いわゆる公的機関の責任問題があったり、加えて試合を続行するかどうかというある種のモラルを問う問題など様々な問題が集約されていて、それが映画として出来上がっていることにすごく感動しました。
当時、監督はこの事件をご自身でどのように捉えていたのでしょうか。あるいは後日聞いて、これはすごく重要な問題だと思われたのでしょうか。この事件に対する監督のご意見をお聞きしたいと思います。
監督:この事件が起こった時、私は少し若すぎましたし鉄のカーテンの反対側にいたので、ライブ映像では見ていません。私の両親は1989年にルーマニアからベルギーに来たので、その当時は分かりませんでした。でも、ベルギーに住んでいると、アメリカにとっての9.11のようなトラウマなのです。ベルギーにはフラマン語を話す人達がいて、ドイツ語、フランス語を話す人達、イタリア移民のコミュニティも多いのですが、どの人達も非常に大きなショックを受けていて、未だにその話がされているような状態です。
ベルギーは、私が自ら選んで住み始めた第2の故郷ですから、ベルギー的な話を作りたい、映画を撮りたいと思っていたところ、この題材に巡り合いました。
市山PD:主演のヴィオレット・ブレックマンさんに1つ質問します。まさにこの事件を再現するキャラクターの中の1人を演じられたわけですね。(映画を)観ると、いろんな言語が飛び交い、しかもそれをリアリズムで演じなければいけないハードな現場だったと思いますが、役作りで特に注意されたことや難しかったことはあったでしょうか。
ヴィオレットさん:言語に関しては具体的にやっていかなければならなかったの(役作りで具体的に取り組めること)ですが、ベルギーではいろいろな言語が話されているので、私はもともと3か国語ができました。イタリア語に関しては、学校に行ってもっと流暢に話せるように自分でやろう(勉強しよう)と思いました。撮影現場では物事が早く進んでしまうので、イタリア語で自由に話せるようになりたいなと思って習いました。あとは、監督とたくさん話をしました。あまり準備をする時間がなかったので、流れに任せてやっていくという感じではありました。
撮影現場では6か国語が話されていました。そういう意味で、まるでヨーロッパのようだなという感覚がありました。ヨーロッパはいろんな国が隣り合っていますが、それぞれ文化が違うし、雰囲気が違うわけです。そういったものが全部一緒になっていている撮影現場で、私はそういう現場がとても好きでした。
監督:少し付け加えたいのですが、この撮影は不可能に近いものでした。25日間で撮影するという本当にクレイジーな早業をしました。エキストラの方もたくさんいますし、良い所も悪い所もあるのですが、いろんな複雑なことがありました。必要がなければカットしたくない、長回しで撮りたいというところもありましたし、そのせいで少し時間を失ったところもあります。また、16ミリで撮りたいと思っていたのでそこでも少し時間がかかりました。音楽だったり、車だったり、80年代らしい雰囲気をしっかり出したいというところもありましたので、いろいろ大変ではありましたが、25日間で撮り上げるという本当に不可能なことをやったと思います。

-Q:実際の事件に着想を得た作品ですが、どのようにリサーチされたのでしょうか。
監督:この悲劇についてはたくさんのドキュメンタリーやテレビのルポルタージュが作られており、私たちはいろんなものを観ました。その中にはすごくよくできているものもありました。また、実際に悲劇を経験したいろんなサイド(立場)の方々ともお話をしました。そういった意味で、私たちはかなりの情報を得ていたと思います。さらに、この悲劇をよく知っている2人の共同脚本家の方(ローデ・デスメット、イザベル・ダラス)とも一緒に仕事をしました。
ですが、私が映画としてこのテーマを扱う時に、今まで観たドキュメンタリーの中にほとんど存在していないと感じたのが、政治的スリラーという側面です。閉じたドアの中で一体何が行われたのかということを(観客に)観せたいと思いました。もちろん、本当に起きていたことはそこにいた人達にしか分からないのですが、こういうことがあったというリサーチもありますし、プロット的にとても重要な部分をなるべく忠実に、誠実に脚本を作っていきました。プロットやリサーチをした部分を大事にしつつ、あとはクリエイティブフリーダムというか、映画としてよりダイナミックに面白く、インパクトが出るように作りました。
-Q:ドキュメンタリー映像とドラマ場面で構成した理由をお聞かせください。
監督:そういうコンセプトがこの映画のテーマに合っていると思ったからです。アーカイブ(記録映像)からのイメージ(映像)はよく覚えているものが多くて、全部ではなくてもアーカイブにある中で幾つかのイメージ(映像)は、皆さんの集団的な記憶に残っているものだと思います。非常に生々しいので、これ以上自分たちで再現することはできないという気持ちもありました。
私たちの課題は、たくさんあるアーカイブ(記録映像)の中から何を選ぶかということでした。出来事や関係者に対して搾取するようなものではなく、敬意を持ったイメージ(映像)を選ぶことが大変でした。時には私たち自身を検閲(規制)しなければなりませんでした。あまりにもイメージが酷すぎて、(観客が)そのイメージを観てしまうと、映画から取り残されて映像ばかりに集中してしまうので、そういうものは避けるようにしていました。つまり、(私たちの課題は)バランスを取るということでした。
-Q: カメラワークが特徴的でした。どのような意図があったのでしょうか?
監督:すごくいい質問だと思います。私はいつもはクローズアップでなるべくキャラクターに近づくのが好きで、近づくことによって彼らの心や感情に入り込むことができると思っています。
ただ、危機状態に陥ると、フリーズしてしまって何が起きているのかよく分からないまま浮遊しているような感覚があると思いますが、(観客は)たぶんそういうのを(登場人物から距離を取ったカメラワークから)感じたのだと思います。
マリーは私たちを(物語の中に)引っ張ってくれる役柄ですが、(ヘイゼルの悲劇は)多くのキャラクターで語られるべきストーリーだと思います。それだけ状況が酷かったか、いろんなことが起こっていたということを尊重するために、なるべくいろんな人に語らせたかったのです。
ヴィオレットさん:マリーを演じた時、観客の皆さんをスタジアムの中やあの夜の混乱へと導くある種の乗り物であるというのは意識していました。マリーの前で子どもが亡くなった時、マリーは本当にショックを受けますが、同時に、自分の仕事をやり続けなければと思うわけです。
スタジアムの中でいろんなことが起き、周りの人が何もできなくなってショックで崩れていく中で、マリーは犠牲者を尊重するためにも自分の仕事をしっかりしなければという気持ちだったんですよね。彼女は権力を持ってるわけではないので、システムを変えたり、何かを決断したりする立場にはないのですが、十分近い場所にいるので疑問を呈することはできたわけです。
おそらく、スタジアムを出たら、ショックや悲しみなどいろんなもので崩れ落ち、何が起こったのか整理し(受け止め)ようとするとは思いますが、あの場では頑張ってしっかりしようとするところを意識的に見せようという話を(監督と)2人でしていました。

監督:それが「距離をとる」(登場人物と距離を置いたカメラワーク)ことに繋がるのかなと思います。本当だったら(子どもの)そばに行って泣き崩れたいのだろうと思います。
ヴィオレットさん:これは自分(マリー)の悲劇ではなく、(マリーは)観察者なんだということを表現しています。