現在開催中の第39回東京国際映画祭(以下TIFF)で「
TOKYO TALK:瀬々敬久マスタークラス」が10月30日に東京ミッドタウン日比谷 LEXUS MEETS...で行われ、映画ジャーナリストの金原由佳氏を聞き手に、瀬々敬久監督が登壇した。
「TOKYO TALK」は、TIFFに集う世界中の映画人の交流を生み出してきた「交流ラウンジ」を、映画と観客をコネクトする場へとパワーアップさせたイベント。この日は、今年のTIFFのオープニング作品となった『
映画「SUKIYAKI 上を向いて歩こう」』の瀬々監督によるマスタークラスを実施。スタジオシステム崩壊以降の日本映画界で、商業映画とインディペンデント映画、ピンク映画など、作品の垣根を越えて数多くの作品を手がけている瀬々監督のキャリアを俯瞰(ふかん)で振り返る機会となった。
大分県出身の瀬々監督は、高校時代にテレビで大林宣彦監督や原將人監督らの実験的な自主映画と出会い、「映画とは違う文法で好き勝手にやっている」と衝撃を受けたといい、物理教室に落ちていた8ミリカメラで映画を撮り始めたのが映画の原点だと振り返る。
大学進学後も16ミリ映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』を自主制作するなどしていたが、ピンク映画界では高橋伴明、周防正行、廣木隆一といった、後に一般映画で活躍することになる気鋭の監督たちが活躍していたことで「面白そうだな」と思い、「3年助監督をやれば監督になれるらしいと聞いて上京した」と笑う。
「今考えたら自由があったので、楽しかったですね」と述懐する瀬々監督はピンク映画の世界で、自由な作家性を開花させた。『黒い下着の女 雷魚』や『汚れた女(マリア)』など、実在の事件にインスピレーションを得た作品を次々と量産していた。
それらの作品群での力強い女性像については、「倍賞美津子さんがものすごく強い女性を演じているような、森崎東監督の映画が好きで。そこの影響はすごくあった」と切り出すと、「90年代は性差を超えて自己主張できるような時代の感覚があったように思います。それと女性の犯罪者の実話に興味があったというのもあります。僕ら男性からすると、男性原理とは違う動機がよく分からないところがあって。そこが逆に興味があったというか。実はこれから発表される作品も女性が起こした犯罪をモデルにした作品となります」と明かした。
当時、佐藤寿保、サトウトシキ、佐野和宏ら作家性の強い監督らとともに「ピンク四天王」と呼ばれていた瀬々監督。「これは確か北陸の方にあるピンク映画館の方たちが言い出したことで。この人たちの映画を上映すると、エロスが少ないのに難しいから、客が怒って帰るんだと。だからこの4人の監督のことが大嫌いだったんです。だから四天王だという、評判の悪いマイナスイメージからはじまった」と笑ってみせた。
だがそうした作家性の強いピンク映画が、オランダのロッテルダム国際映画祭などで高く評価されることになり、逆輸入的な形で注目を集めることとなった。
その後、一般の商業映画へと活動の場を広げた瀬々監督だが、直面したのは「自由度のなさ」だった。「このままだとまずいぞ、という焦りがあった。もう一度出直す気分で撮らないとまずい、という切迫感のようなものが生まれた」ということと、2009年の映画『ドキュメンタリー頭脳警察』が、ある事情からもともとの制作会社が手を引くこととなり、結果的に自主制作という手段をとることを選択したということも、自身の中での自主制作の機運を高めることにつながったという。
その思いが結実したのが全9章、4時間38分という異例の長編大作『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)だった。加害者家族と被害者家族というテーマは後の「虚ろな十字架」や『友罪』といった作品などでも扱われることとなるが、「白黒つけるのが好きじゃなくて。どうしてこんな悲惨な事件が起こるんだろう、その裏に何があるんだろう、ということを知りたい、ということが大きい」と語る。そしてその後も、大正時代のアナキストと女相撲の交流を描いた『菊とギロチン』といった企画を自主制作の形で実現させている。
そうした自主制作のフィールドで重厚なドラマを発表する一方で、メジャーの商業映画のフィールドでもテーマ性のある社会派ドラマを数多く手がけているが、「どうやってプロデューサーを説得しているのか?」という質問に、「なんとなくのらりくらりとそっちの方向に持っていくということですね。いきなり言うと抵抗がありますから、徐々に、なんとなく、そういう映画にしましょう、という風にしていく。ただ僕自身も、そういう風に発見するのには時間がかかるし、最初からそうしようと決めているわけではないんですが。ただ企画を受けた時点で、そういう芽がある企画を受けるというのはあります」と語った。
また今後撮りたいテーマとして、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線“狼”」について言及。「いつか撮りたいと思っているが、今この時代にこれを撮るという時代性とのマッチングをどうしたらいいかということは非常に悩んでいる。たとえばポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』なんて、少女と父の物語を通じてかつての闘争の話を描いていて。うまいな、と感心しますよね。ああいった切り口がないかと今探しているところです」と現在構想中であるモチーフについて明かした。
そうやって90分近くにわたって繰り広げられてきた濃密な時間もいよいよ終盤。最後に「映画や文化というものは平和のためにあるものなので。ぜひこういう会合が平和につながればいいなと思いますし、ぜひこの映画祭でいろんな映画を見て、いろんな人と出会って、楽しんでいただけたら」と観客に呼びかけ、マスタークラスを締めくくった。
現在開催中の第39回東京国際映画祭(以下TIFF)で「
TOKYO TALK:瀬々敬久マスタークラス」が10月30日に東京ミッドタウン日比谷 LEXUS MEETS...で行われ、映画ジャーナリストの金原由佳氏を聞き手に、瀬々敬久監督が登壇した。
「TOKYO TALK」は、TIFFに集う世界中の映画人の交流を生み出してきた「交流ラウンジ」を、映画と観客をコネクトする場へとパワーアップさせたイベント。この日は、今年のTIFFのオープニング作品となった『
映画「SUKIYAKI 上を向いて歩こう」』の瀬々監督によるマスタークラスを実施。スタジオシステム崩壊以降の日本映画界で、商業映画とインディペンデント映画、ピンク映画など、作品の垣根を越えて数多くの作品を手がけている瀬々監督のキャリアを俯瞰(ふかん)で振り返る機会となった。
大分県出身の瀬々監督は、高校時代にテレビで大林宣彦監督や原將人監督らの実験的な自主映画と出会い、「映画とは違う文法で好き勝手にやっている」と衝撃を受けたといい、物理教室に落ちていた8ミリカメラで映画を撮り始めたのが映画の原点だと振り返る。
大学進学後も16ミリ映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』を自主制作するなどしていたが、ピンク映画界では高橋伴明、周防正行、廣木隆一といった、後に一般映画で活躍することになる気鋭の監督たちが活躍していたことで「面白そうだな」と思い、「3年助監督をやれば監督になれるらしいと聞いて上京した」と笑う。
「今考えたら自由があったので、楽しかったですね」と述懐する瀬々監督はピンク映画の世界で、自由な作家性を開花させた。『黒い下着の女 雷魚』や『汚れた女(マリア)』など、実在の事件にインスピレーションを得た作品を次々と量産していた。
それらの作品群での力強い女性像については、「倍賞美津子さんがものすごく強い女性を演じているような、森崎東監督の映画が好きで。そこの影響はすごくあった」と切り出すと、「90年代は性差を超えて自己主張できるような時代の感覚があったように思います。それと女性の犯罪者の実話に興味があったというのもあります。僕ら男性からすると、男性原理とは違う動機がよく分からないところがあって。そこが逆に興味があったというか。実はこれから発表される作品も女性が起こした犯罪をモデルにした作品となります」と明かした。
当時、佐藤寿保、サトウトシキ、佐野和宏ら作家性の強い監督らとともに「ピンク四天王」と呼ばれていた瀬々監督。「これは確か北陸の方にあるピンク映画館の方たちが言い出したことで。この人たちの映画を上映すると、エロスが少ないのに難しいから、客が怒って帰るんだと。だからこの4人の監督のことが大嫌いだったんです。だから四天王だという、評判の悪いマイナスイメージからはじまった」と笑ってみせた。
だがそうした作家性の強いピンク映画が、オランダのロッテルダム国際映画祭などで高く評価されることになり、逆輸入的な形で注目を集めることとなった。
その後、一般の商業映画へと活動の場を広げた瀬々監督だが、直面したのは「自由度のなさ」だった。「このままだとまずいぞ、という焦りがあった。もう一度出直す気分で撮らないとまずい、という切迫感のようなものが生まれた」ということと、2009年の映画『ドキュメンタリー頭脳警察』が、ある事情からもともとの制作会社が手を引くこととなり、結果的に自主制作という手段をとることを選択したということも、自身の中での自主制作の機運を高めることにつながったという。
その思いが結実したのが全9章、4時間38分という異例の長編大作『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)だった。加害者家族と被害者家族というテーマは後の「虚ろな十字架」や『友罪』といった作品などでも扱われることとなるが、「白黒つけるのが好きじゃなくて。どうしてこんな悲惨な事件が起こるんだろう、その裏に何があるんだろう、ということを知りたい、ということが大きい」と語る。そしてその後も、大正時代のアナキストと女相撲の交流を描いた『菊とギロチン』といった企画を自主制作の形で実現させている。
そうした自主制作のフィールドで重厚なドラマを発表する一方で、メジャーの商業映画のフィールドでもテーマ性のある社会派ドラマを数多く手がけているが、「どうやってプロデューサーを説得しているのか?」という質問に、「なんとなくのらりくらりとそっちの方向に持っていくということですね。いきなり言うと抵抗がありますから、徐々に、なんとなく、そういう映画にしましょう、という風にしていく。ただ僕自身も、そういう風に発見するのには時間がかかるし、最初からそうしようと決めているわけではないんですが。ただ企画を受けた時点で、そういう芽がある企画を受けるというのはあります」と語った。
また今後撮りたいテーマとして、1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線“狼”」について言及。「いつか撮りたいと思っているが、今この時代にこれを撮るという時代性とのマッチングをどうしたらいいかということは非常に悩んでいる。たとえばポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』なんて、少女と父の物語を通じてかつての闘争の話を描いていて。うまいな、と感心しますよね。ああいった切り口がないかと今探しているところです」と現在構想中であるモチーフについて明かした。
そうやって90分近くにわたって繰り広げられてきた濃密な時間もいよいよ終盤。最後に「映画や文化というものは平和のためにあるものなので。ぜひこういう会合が平和につながればいいなと思いますし、ぜひこの映画祭でいろんな映画を見て、いろんな人と出会って、楽しんでいただけたら」と観客に呼びかけ、マスタークラスを締めくくった。