第39回東京国際映画祭の日本映画クラシック部門で10月29日、相米慎二監督の1990年作『
東京上空いらっしゃいませ』の4Kデジタルリマスター版が角川シネマ有楽町で上映された。上映後のトークイベントには映画評論家のクリス・フジワラ氏、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターの市山尚三氏が登壇した。
2010年代前半、アーティスティック・ディレクターとして関わっていたイギリスのエディンバラ国際映画祭で、相米慎二の特集上映を準備するために本作を初めて鑑賞したというフジワラ氏。だが当時の相米監督の海外での認知度は、「本来評価されるべき水準には全く達していなかった」と指摘する。日本での高い評価とは裏腹に、それまで海外での上映機会は極めて限定的で、英語圏での本格的な評論もほとんどなかった。しかし、エディンバラ国際映画祭で全13本の長編映画を一挙上映した際には、現地の観客から非常に好意的な反応が得られ、後にナントやパリなどでも回顧上映が行われるなど、ヨーロッパでの評価につながっていった。
また「これは知人から聞いた話ですが」と前置きしつつも、『魚影の群れ』の上映時には、客席に女優のティルダ・スウィントンも来場していたそう。スクリーンに映し出される海の情景の荘厳(そうごん)さに両手を広げながら感嘆していたというエピソードも紹介された。
さらにフジワラ氏は、相米監督が好きだったという清水宏をはじめ、成瀬巳喜男や五所平之助らの名前を挙げながら、「スタイルはまったく違いますが、不完全な人や自分をつかめていない人、迷える人たちへの温かいまなざしは、彼らに通じるものがある」と日本映画界の巨匠たちとの連続性を指摘してみせた。
トークの中盤からは、本映画祭のプログラミング・ディレクターであり、本作制作当時は松竹の社員だった市山ディレクターが合流し、本作の裏話を披露することになった。
「なぜ相米監督がこの映画を撮ったのかと思う人も多いかもしれません」と切り出した市山ディレクターによると、本作のベースとなったのは、相米監督も所属していた映画制作会社「ディレクターズ・カンパニー」の脚本公募で第1位を獲得した榎祐平氏による脚本だった。だが実は榎祐平氏とは、当時の市山氏の先輩にあたる松竹の社員で、後に『壬生義士伝』や『血と骨』など、多くの映画作品をプロデュースすることになる榎望氏のペンネームだった。映画制作を志して入社したものの別部署の配属となった榎氏は、どうしても映画の仕事がしたい、という思いで脚本公募に応募。1位を獲得した脚本を、相米監督自身がやりたいと手を挙げたという。
だが榎氏が手がけた当初のシナリオは、スクリューボール・コメディやソフィスティケイテッド・コメディなどを手がけた映画作家として名高いエルンスト・ルビッチやプレストン・スタージェスらにオマージュをささげた内容だったといい、市山ディレクターも「僕も榎さんが応募したときの脚本を読みましたが、設定は同じでも、だいぶ違う脚本でした」と証言する。
榎氏は撮影中、相米監督から「このシーンを書きかえるから」ということで現場に何度も呼び出され、その場で脚本を書きかえていたというが、結果的に本作は「ある一人の少女の成長物語」という相米監督の作家性に引き寄せられることとなった。一方、完成した作品を見た榎氏は「ルビッチで始まったのに、(吉永小百合主演の感動作)『愛と死をみつめて』みたいになってたよ」と語っていたという。
榎氏は惜しくも2023年に逝去したが、市山ディレクターは最後に「本当はこの場にいらっしゃって、もっといろいろな話をしてほしかった。しかし、こうして4Kデジタルリマスターとして復元され、多くの人にまた見てもらえるようになったのは本当に素晴らしいことだ」と感慨深げに語った。
第39回東京国際映画祭は、11月4日まで開催。
第39回東京国際映画祭の日本映画クラシック部門で10月29日、相米慎二監督の1990年作『
東京上空いらっしゃいませ』の4Kデジタルリマスター版が角川シネマ有楽町で上映された。上映後のトークイベントには映画評論家のクリス・フジワラ氏、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターの市山尚三氏が登壇した。
2010年代前半、アーティスティック・ディレクターとして関わっていたイギリスのエディンバラ国際映画祭で、相米慎二の特集上映を準備するために本作を初めて鑑賞したというフジワラ氏。だが当時の相米監督の海外での認知度は、「本来評価されるべき水準には全く達していなかった」と指摘する。日本での高い評価とは裏腹に、それまで海外での上映機会は極めて限定的で、英語圏での本格的な評論もほとんどなかった。しかし、エディンバラ国際映画祭で全13本の長編映画を一挙上映した際には、現地の観客から非常に好意的な反応が得られ、後にナントやパリなどでも回顧上映が行われるなど、ヨーロッパでの評価につながっていった。
また「これは知人から聞いた話ですが」と前置きしつつも、『魚影の群れ』の上映時には、客席に女優のティルダ・スウィントンも来場していたそう。スクリーンに映し出される海の情景の荘厳(そうごん)さに両手を広げながら感嘆していたというエピソードも紹介された。
さらにフジワラ氏は、相米監督が好きだったという清水宏をはじめ、成瀬巳喜男や五所平之助らの名前を挙げながら、「スタイルはまったく違いますが、不完全な人や自分をつかめていない人、迷える人たちへの温かいまなざしは、彼らに通じるものがある」と日本映画界の巨匠たちとの連続性を指摘してみせた。
トークの中盤からは、本映画祭のプログラミング・ディレクターであり、本作制作当時は松竹の社員だった市山ディレクターが合流し、本作の裏話を披露することになった。
「なぜ相米監督がこの映画を撮ったのかと思う人も多いかもしれません」と切り出した市山ディレクターによると、本作のベースとなったのは、相米監督も所属していた映画制作会社「ディレクターズ・カンパニー」の脚本公募で第1位を獲得した榎祐平氏による脚本だった。だが実は榎祐平氏とは、当時の市山氏の先輩にあたる松竹の社員で、後に『壬生義士伝』や『血と骨』など、多くの映画作品をプロデュースすることになる榎望氏のペンネームだった。映画制作を志して入社したものの別部署の配属となった榎氏は、どうしても映画の仕事がしたい、という思いで脚本公募に応募。1位を獲得した脚本を、相米監督自身がやりたいと手を挙げたという。
だが榎氏が手がけた当初のシナリオは、スクリューボール・コメディやソフィスティケイテッド・コメディなどを手がけた映画作家として名高いエルンスト・ルビッチやプレストン・スタージェスらにオマージュをささげた内容だったといい、市山ディレクターも「僕も榎さんが応募したときの脚本を読みましたが、設定は同じでも、だいぶ違う脚本でした」と証言する。
榎氏は撮影中、相米監督から「このシーンを書きかえるから」ということで現場に何度も呼び出され、その場で脚本を書きかえていたというが、結果的に本作は「ある一人の少女の成長物語」という相米監督の作家性に引き寄せられることとなった。一方、完成した作品を見た榎氏は「ルビッチで始まったのに、(吉永小百合主演の感動作)『愛と死をみつめて』みたいになってたよ」と語っていたという。
榎氏は惜しくも2023年に逝去したが、市山ディレクターは最後に「本当はこの場にいらっしゃって、もっといろいろな話をしてほしかった。しかし、こうして4Kデジタルリマスターとして復元され、多くの人にまた見てもらえるようになったのは本当に素晴らしいことだ」と感慨深げに語った。
第39回東京国際映画祭は、11月4日まで開催。