
©2026 TIFF
第39回東京国際映画祭で10月31日、日本映画クラシック部門として『
ラスト・キャバレー』がTOHOシネマズシャンテで上映され、トークイベントに金子修介監督、本作ヒロインのかとうみゆきが登壇した。
1971年から1988年にかけて多くの映画人を輩出し、日本映画史に大きな足跡を残した成人映画レーベルの「日活ロマンポルノ」(1978年からは社名変更に伴い「にっかつロマンポルノ」に)が今年で誕生55周年を迎えることを記念して行われた本イベント。この日上映された『ラスト・キャバレー』は、1988年のロマンポルノ終焉(しゅうえん)期を飾った青春映画の傑作で、再開発のために取り壊されることになった「キャバレー」の閉店と、ロマンポルノの終焉(しゅうえん)を重ねて描いている。
上映終了後、万雷の拍手のなか登壇した金子監督とかとうだが、実はふたりとも途中まで観客と一緒に映画を鑑賞していたという。だが打ち合わせのために中座することになったそうで、金子監督も「シャンテの大画面でこの映画が観られるなんて思わなかったので、最後まで観たかったな」と名残惜しそうな様子だったが、「今日はなんだか新しい作品を観ているようだった」と上映を振り返った。
本作は、金子監督がにっかつで監督デビューを果たしてから4年後、フリーランスとして活躍していた時期に制作された。当時は、にっかつロマンポルノの終了が決定し、新たな一般映画レーベル「ロッポニカ」が立ち上がる過渡期にあり、「ロッポニカで撮らないかという打診もあったが、それよりもロマンポルノの最後をやりたかった」と振り返る。
ちなみに本作は、後に『櫻の園』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を獲得する脚本家・じんのひろあきのデビュー作でもあるが、彼が(根岸吉太郎監督のロマンポルノの名作)『キャバレー日記』を観たことがあるという理由で題材をキャバレーに設定することとなったという。
だがストーリーが完成し、キャバレーのオーナーである、ヒロインの父親役に名優・大地康雄が早々に決定したものの、肝心のヒロインが決まらなかった。オーディションを行っても「大地さんの愛人にしか見えない人しか面接できなかった」という金子監督。クランクインまで残り1週間を切り切羽詰まった時に、金子監督があるビデオ店で1本の作品を発見。そこに映っていた、かとうにビビッときたことで、本作のオファーを打診することとなった。かとうが21歳から22歳の間に撮影されたという。
当時、自らマネジメントも行っていたというかとうは、プロデューサーと監督のもとへ単身で面接に訪れた。成人向けビデオ業界でアイドル的人気を誇っていた彼女に対して「いまさらロマンポルノに出るな」という反対もあったというが、彼女のグラビアを撮影していたカメラマンから「金子監督の作品なら絶対に出た方がいい」といった後押しがあり、出演を決意したという。そして面接がひととおり終わった後は「その場でこちらの部屋で、ということになって。ひとりでギャラ交渉をしていましたね」と笑う金子監督。その流れで司会者からギャラの値段について質問されたかとうは「すごく高かったわけでもないけど、すごく低かったわけでもなかった」と笑ってみせた。
本作は、自立していく娘を見守る父親、そして親離れをしようとしながらも父のことが気がかりな娘といった、父と娘の絆を描き出した人間ドラマの側面もある。そんな本作に対して、かとうは忘れられない記憶があるそうで、「実は今年の4月に父が亡くなりました。母も他界しました。1988年の公開当時、両親がそろって映画を見に来てくれたんです。なので映画を観ていると、今もし生きていたら伝えたいことがあるな、ということが心に残るというか、思い出されます」とかみ締めるように語った。
「時代の流れによって失われていくキャバレー」という題材の作品ではあるが、実際の映画は不思議なほどの明るさとエネルギーに満ちあふれている。金子監督は「僕のキャリアはロマンポルノからスタートしましたが、ロマンポルノが終わるということに対してはワクワクしていた。終わるのが悲しいという感じではなく、すべてが終わりに向かって祝福していくような、そんな作品になったと思う」と自負する。
そして最後に「今日は久しぶりにこういうところに立たせていただいて、今、すごく楽しいです」とかとうが笑顔を見せると、金子監督も「今日はみゆきちゃんと楽しくおしゃべりできて良かったです」と返すなど、会場を大いに沸かせた。

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第39回東京国際映画祭で10月31日、日本映画クラシック部門として『
ラスト・キャバレー』がTOHOシネマズシャンテで上映され、トークイベントに金子修介監督、本作ヒロインのかとうみゆきが登壇した。
1971年から1988年にかけて多くの映画人を輩出し、日本映画史に大きな足跡を残した成人映画レーベルの「日活ロマンポルノ」(1978年からは社名変更に伴い「にっかつロマンポルノ」に)が今年で誕生55周年を迎えることを記念して行われた本イベント。この日上映された『ラスト・キャバレー』は、1988年のロマンポルノ終焉(しゅうえん)期を飾った青春映画の傑作で、再開発のために取り壊されることになった「キャバレー」の閉店と、ロマンポルノの終焉(しゅうえん)を重ねて描いている。
上映終了後、万雷の拍手のなか登壇した金子監督とかとうだが、実はふたりとも途中まで観客と一緒に映画を鑑賞していたという。だが打ち合わせのために中座することになったそうで、金子監督も「シャンテの大画面でこの映画が観られるなんて思わなかったので、最後まで観たかったな」と名残惜しそうな様子だったが、「今日はなんだか新しい作品を観ているようだった」と上映を振り返った。
本作は、金子監督がにっかつで監督デビューを果たしてから4年後、フリーランスとして活躍していた時期に制作された。当時は、にっかつロマンポルノの終了が決定し、新たな一般映画レーベル「ロッポニカ」が立ち上がる過渡期にあり、「ロッポニカで撮らないかという打診もあったが、それよりもロマンポルノの最後をやりたかった」と振り返る。
ちなみに本作は、後に『櫻の園』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を獲得する脚本家・じんのひろあきのデビュー作でもあるが、彼が(根岸吉太郎監督のロマンポルノの名作)『キャバレー日記』を観たことがあるという理由で題材をキャバレーに設定することとなったという。
だがストーリーが完成し、キャバレーのオーナーである、ヒロインの父親役に名優・大地康雄が早々に決定したものの、肝心のヒロインが決まらなかった。オーディションを行っても「大地さんの愛人にしか見えない人しか面接できなかった」という金子監督。クランクインまで残り1週間を切り切羽詰まった時に、金子監督があるビデオ店で1本の作品を発見。そこに映っていた、かとうにビビッときたことで、本作のオファーを打診することとなった。かとうが21歳から22歳の間に撮影されたという。
当時、自らマネジメントも行っていたというかとうは、プロデューサーと監督のもとへ単身で面接に訪れた。成人向けビデオ業界でアイドル的人気を誇っていた彼女に対して「いまさらロマンポルノに出るな」という反対もあったというが、彼女のグラビアを撮影していたカメラマンから「金子監督の作品なら絶対に出た方がいい」といった後押しがあり、出演を決意したという。そして面接がひととおり終わった後は「その場でこちらの部屋で、ということになって。ひとりでギャラ交渉をしていましたね」と笑う金子監督。その流れで司会者からギャラの値段について質問されたかとうは「すごく高かったわけでもないけど、すごく低かったわけでもなかった」と笑ってみせた。
本作は、自立していく娘を見守る父親、そして親離れをしようとしながらも父のことが気がかりな娘といった、父と娘の絆を描き出した人間ドラマの側面もある。そんな本作に対して、かとうは忘れられない記憶があるそうで、「実は今年の4月に父が亡くなりました。母も他界しました。1988年の公開当時、両親がそろって映画を見に来てくれたんです。なので映画を観ていると、今もし生きていたら伝えたいことがあるな、ということが心に残るというか、思い出されます」とかみ締めるように語った。
「時代の流れによって失われていくキャバレー」という題材の作品ではあるが、実際の映画は不思議なほどの明るさとエネルギーに満ちあふれている。金子監督は「僕のキャリアはロマンポルノからスタートしましたが、ロマンポルノが終わるということに対してはワクワクしていた。終わるのが悲しいという感じではなく、すべてが終わりに向かって祝福していくような、そんな作品になったと思う」と自負する。
そして最後に「今日は久しぶりにこういうところに立たせていただいて、今、すごく楽しいです」とかとうが笑顔を見せると、金子監督も「今日はみゆきちゃんと楽しくおしゃべりできて良かったです」と返すなど、会場を大いに沸かせた。