2026.11.03 [イベントレポート]
『GROTESQQQUE-グロテスク-』錦織敦史監督が感じる、アニメーターとしての仕事の面白さ

第39回東京国際映画祭のアニメーション部門シンポジウム「アニメーターの醍醐味」が11月3日、東京ミッドタウン日比谷で開催され、『GROTESQQQUE-グロテスク-』の錦織敦史監督と、世界各地のアニメーターへのインタビューを通してその仕事に迫るドキュメンタリー『ウォーキング・ウィズ・アニメーターズ』のアレクサンドル・ポンセ監督が登壇した。司会はアニメ評論家でアニメーション部門プログラム・アドバイザーの藤津亮太が務めた。当初登壇を予定していた夏目真悟監督(『ghost/夜の果て』)は体調不良で欠席となったが、現役のアニメーターである錦織監督と、長年にわたってアニメーションの制作者たちを取材してきたポンセ監督が、それぞれの立場からアニメーターという仕事の魅力と難しさを語った。

錦織監督は、GAINAX出身のアニメーターだ。「天元突破グレンラガン」(2007)でキャラクターデザインを手がけたのち、11年のテレビアニメ「THE IDOLM@STER」で監督を務め、『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』で映画を初監督。オリジナルテレビアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」(18)でも監督を担い、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)では総作画監督を務めた人物として知られている。

一方、ポンセ監督はこれまで、特撮映画のクリーチャー・デザインを担う制作者たちを追った『The Frankenstein Complex』(15)、そしてアニメーターであり特殊効果アーティストでもあるフィル・ティペットの創作活動を記録した『Phil Tippett – Mad Dreams and Monsters』(19)などを、ジル・パンソとの共同監督で手がけてきた。こうした作品を制作するなかで、多くのアニメーターと出会い、その仕事について知る機会を得たという。

ポンセ監督によれば、『ウォーキング・ウィズ・アニメーターズ』の制作につながったのは、15年か16年頃に参加したアニメーターのコンベンションだった。そこでテレビアニメ「ザ・シンプソンズ」の制作陣と出会い、『The Frankenstein Complex』を同作の制作スタジオで上映する機会も得られたという。彼らとの交流を通じてポンセ監督が感じたのは、アニメーターたちの仕事が世界中の観客に届いている一方で、制作者自身は必ずしも脚光を浴びていないということだった。アニメーションを作る人々に光を当てたい——その思いが、新たなドキュメンタリーの出発点となった。

『ウォーキング・ウィズ・アニメーターズ』の制作は18年2月に始まり、完成したのは26年4月。約8年にわたる撮影のなかで、作品の構成も変化していった。ポンセ監督自身はアニメーションの専門家ではなかったため、インタビューでは一般的な質問から始め、各人と1~2時間にわたって話をした。そうして集めたインタビューを編集するうちに、アニメーターたちに共通するテーマや、それぞれの創作哲学が浮かび上がってきたという。

さらに、新たに見えてきた論点を掘り下げるため、追加の取材を重ねていった。パンデミックによる撮影の中断を経て、再開後には世界の状況そのものが変わり、近年では生成AIも重要なテーマとして加わった。ポンセ監督は、時代とともに変化する問題を取り込みながら、10年後に観ても意味を持つ作品にしたいと考えていたと語った。

一方、錦織監督は『ウォーキング・ウィズ・アニメーターズ』について、アニメーションに対する初期衝動や、根源的な情熱を思い起こさせる作品だったと述べた。自身はもともと漫画家を志していたが、大学受験に失敗した時期に『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を観て強い衝撃を受け、アニメーションの道を選ぶことになる。上京後、東映アニメーション研究所に通い始めたところ、GAINAXの求人を見つけた。教師からは難しいと言われたものの応募し、採用されたという。本人は当時、特別に絵がうまかったわけでも、アニメーションに詳しかったわけでもないと振り返るが、師匠にあたる鶴巻和哉からは、漫画的な絵柄や、アカデミックな教育を経ていない独自の感覚を評価されたのではないかと語った。

アニメーターとしての仕事の面白さについて、錦織監督は、単に動きを描くだけではない点を挙げた。画面の構図やレイアウトを決める作業にはカメラマンに近い側面があり、キャラクターの芝居についても、どのように見せるか、どこに間を作るかによって多様な表現が可能になる。GAINAX時代に「まほろまてぃっく」や「アベノ橋魔法☆商店街」などに原画で参加した時期には、周囲の先輩たちから多くを学んだという。アニメーションには、動きだけでなく、画面の構成や演技、時間の扱いなど、さまざまな要素が含まれている。その発見が、仕事を続ける原動力になった。

ポンセ監督は、アニメーションとは観察(Observation)の芸術でもあると指摘した。アニメーターは現実をそのまま再現するのではなく、自分が何を見て、何を表現したいのかを選び取る。『ウォーキング・ウィズ・アニメーターズ』では「歩くこと」も重要なモチーフになっており、人がどのように歩くかという細部から、その人物の性格や内面が表れることを示している。これに応答するように、錦織監督も、アニメーションでは何を描き、何を描かないかという選択が重要だと話す。たとえば群衆を描く場合、すべての人物を同じ密度で描き込む必要はない。作品全体のなかで何を見せるべきかを判断し、限られた制作時間や予算のなかで表現を組み立てることも、監督やアニメーターに求められる能力だという。

また、優れたアニメーターと監督の関係についても話題が及んだ。錦織監督は、「天元突破グレンラガン」に参加していた際、吉成曜の仕事に強い衝撃を受けたと振り返る。今石洋之監督から難度の高い要求が次々と出されても、吉成はそれを見事に描き切っていった。そうしたアニメーターがいると、監督としてはさらに難しいカットを任せたくなる。しかし、特定のアニメーターでなければ成立しないカットもあるため、場合によっては本人が描きやすいように絵コンテの段階から一緒に練り上げることもある。アニメーターがやりたいことと、監督が実現したいことの双方が生きるように調整することが重要だと述べた。

ポンセ監督は、アニメーターの仕事に伴う労力にも注意を向ける必要があると語った。数秒の映像を作るために何週間もの作業が必要になることもあり、制作の過程には長い孤独な時間がある。しかし観客は、完成した作品を観るとき、その背後にある労力を必ずしも意識しない。だからこそ、ドキュメンタリーを通じて制作の過程を見せたいという。とりわけ生成AIによって映像を簡単に作れるようになった時代に、観客はワンクリックで生成された映像を求めているのか、それとも作り手が時間をかけ、経験や情熱を注いで完成させた作品を求めているのか。その問いを投げかけたいと語った。

良いアニメーターとはどのような存在かという問いに対し、ポンセ監督は、数フレームのなかに物語やキャラクター、作品のテーマを表現できる人だと答えた。レイ・ハリーハウゼンの仕事を例に挙げ、彼の生み出したクリーチャーが生きているように感じられるのは、単に動きを再現しているからではなく、その動きの背後にある思考までを表現しているからだと説明する。錦織監督も、要求に正確に応える人、要求を超えて作品の見せ場を生み出す人、あるいは少ないカット数でも特別な仕事をする人など、アニメーターにはそれぞれの持ち味があると述べた。なかでも、その人自身の感覚や考え方が絵に表れていることを重視しているという。

最後に、これからアニメーターを目指す若い世代へのアドバイスを問われ、錦織監督は、まず自分が何を好きなのかを理解し、模写でもよいから手を動かして描き続けることが大切だと語った。最初からアカデミックな技術を身につけようとするよりも、描くことを通じて自分の成長や不足に気づき、模写を超えていくことが必要だと述べた。また、アニメーションだけに閉じず、映画や音楽など、幅広いものに触れてほしいと付け加えた。ポンセ監督もこれに同意し、作品のなかで語られる「椅子から立ち上がれ」という言葉を引いた。何を語りたいのか、何を描きたいのかは、自らの経験や観察を通じて生まれるものだからであり、自分自身の人生を生きることが大切だという。CGを志す人にも手描きやストップモーションを試してほしい、異なる技法に触れることが表現の幅を広げる、とも語った。

質疑応答では、若いアニメーターとの仕事や、長く業界で活動を続けるためのモチベーションについても質問が寄せられた。錦織監督は、デジタルネイティブ世代の描き方には新鮮さを感じる一方、従来の現場で共有されてきた基礎を十分に身につけないまま制作に入るケースもあると指摘した。また、自身も40代となり、新しい世代の台頭を前に迷いを感じることがあると率直に語った。それでも、『GROTESQQQUE-グロテスク-』に取り組んだことで、自分の好きなことをできる限り続けていこうという気持ちを取り戻したという。これに応答する形で、ポンセ監督は、仕事を愛しているアーティストが、新しい世代や技術の登場を理由に引退を考える必要はないと応じた。好きな仕事であれば続ければよい、というのがその考えの核心にある。最後に、アニメーションは人間が人間のために作るものであり、自分自身の経験を他者と共有することにこそ、その本質があると述べた。

アニメーターの仕事をめぐる技術や制作環境が変化しても、描くことを通じて人間の経験を伝えるという営みは変わらない。シンポジウムは、「アニメーター」という存在について、二人の監督がそれぞれの経験から語ることで、その根本的な価値を確認する場となった。
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