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29歳のイラストレーター、神名葵(かんな・あおい)は締切に追われる日が増えている。売れっ子になったのはいいが、ほんとうに描きたいことは何だったのだろう。その思いを抱えたまま、恋人や浮気相手との関係を続ける彼女は、大学時代の男ともだちハセオと再会し、人生の歩みを変えていく。三島有紀子監督初のTIFFコンペ入選作は、パンデミックの中で一際リアルに思えた「世界の終わり」という言葉と真摯に向き合い、2026年にそれはどんな風景と共に実感できるのか、深い眼差しで捉えた一作。完全燃焼を求める現代クリエイター、神名の不器用だけど正直な生きざまを松岡茉優が熱演。成田凌が対照的な演技スタイルでハセオを演じ、感情の振り幅の激しい松岡の芝居を確と受け止めている。
── 原作小説との出会いを教えてください。
三島有紀子監督(以下、三島監督): 2020年の初め、『Red』(2020)が公開される際に原作者の島本理生さんから、千早茜さんの小説『男ともだち』の存在を教えていただきました。当時は新作の準備中ですぐに読む時間はなく、2か月後に緊急事態宣言が出て撮影中止となって、失意の中その本を読み始めたんです。私自身、とても仲の良かった男ともだちとその前年に死別していたこともあり、読み進めながら、「人は欠落していて、どうしようもない孤独を抱えているから、寄り添うのかもしれない」と、パンデミックの最中に思いを巡らせました。
── 映画化を決めたきっかけは?
三島監督: 小説の中で、男ともだちのハセオが「もし世界の終わりの日がきたらさ、なにしたい?」と神名に問いかけます。それまで寓話性を帯びて感じられた「世界の終わり」という言葉が、この時期にはそう遠くない日のように感じられて、一際胸に迫ってきました。ハセオの問いかけと向き合った神名が、自分だけしか見えていない状態からやがて世界が見え始め、どんな絵を描くのか、映画にしかできない表現方法を用いてクルーとキャストと共に旅に出たい。物語を「語る」映画ではなく、感情を「感じる」映画にしたいと考えました。
── 脚本づくりはどのように始まったのでしょう?
三島監督: 原作に登場する土地を、プロデューサーの杉本雄介さん、脚本家の澤井香織さんと私の3人で、実際にたどることから始めました。ですから広島の宮島にも行きましたし、京都も「この界隈に住んでいるのかな」「鴨川あたりをうろうろしているよ」と想像しながら歩きました。皆それぞれに持っている異性の友だちの話をして、「人間の醜さや美しさ、湿った感情を大事にしたい」と話しました。
── 神名とハセオの関係はソウルメイトみたいなもので、現実には滅多に見られないものかもしれません。ともすれば、絵空事と思われかねない人間関係を描くことに、ためらいはありませんでしたか。
三島監督: ためらいはなかったです。最初から、言葉にできない感情と関係性を扱う映画になるとわかっていて、クルーとキャストで一丸になって高みを目指しました。『男ともだち』というタイトルが観客の皆さんにはひとつの尺度として受け取られてしまうわけですが、観ていくうちに、だんだんこの言葉が風化する展開を心掛けました。

── 神名には、さまよえる芸術家の一面があると感じながら観ていました。内に激しい芸術的欲求を抱え、心からやりたいことをできていないジレンマに駆られ、そのフラストレーションをぶつけるかのように、恋人がいるのに真司と浮気を繰り返します。
三島監督: 映画が品行方正な人間を描くものであるとは、あまり考えていません。むしろどこか欠けていて、いたらない部分を持っている人間が美しく見える瞬間があり、その瞬間を撮りたいのです。登場人物たちの正しくない「行動」に、最初、観客は自分を見つけられないかもしれません。でも、登場人物の「感情」の中には、きっと自分を見つけていただけると信じています。見終わった後、心の中の新しい扉が開くような作品にしたいと思いました。
── 神名役の松岡茉優さん、ハセオ役の成田凌さんのキャスティングは、どのように決まったのでしょう。
三島監督: 7年ぶりに再会したハセオとの距離感を繊細に演じて、神名の業のようなものを内側から立ち上らせることができるのは松岡さんしかいないと思い、5枚ほどお手紙を書きました。成田さんは、しなやかで風になびくような身体性の高さや、包容力のある声の良さがハセオのイメージに近かったので、役を託しました。
── 主演の2人とは事前によく話し合ったのですか?
三島監督: 松岡さんとは役をお願いした年の夏に、一緒にお茶をしながら話しました。成田さんはクランクインの2か月前に会い、ハセオの人柄について、『ベルリン・天使の詩』(1987)の天使のような距離感で神名の「見守り」をする人ではないかと話しました。成田さんとは撮影中も毎朝30分から1時間、2人きりで話をし、その日のシーンの演技の仕掛けや組み立てを相談して、松岡さんの神名に対してハセオはどんな反応を示すのか、一緒に考えていただきました。「監督にとってもハセオみたいな存在でしたね」と、あとで松岡さんがおっしゃっていましたが、その言葉のとおり、現場で私の共犯者になっていただきました。

── 神名の内面を掘り下げるのに、ロングテイクやボイスオーバーといった映画の技法を用いています。
三島監督: 神名とハセオの距離をじっと見つめていくことが大切でしたので、距離感がいちばんよく伝わるシネスコの横長サイズで撮影し、感情を途切れなく追いかけるためにロングテイクという手法を選びました。2人が電話で話し込むシーンはカットバックせず、別の場所にいる成田さんに電話をかけてもらい、松岡さんの芝居を撮っています。また、幼少期・大学時代・現在の神名をつなげる装置として、少々実験的にボイスオーバーを用いたりしながら、たくさんの時間軸をひとつのショットに収めました。
── こうした明瞭な技法を駆使する一方で、2人が微かに触れ合うささやかな瞬間がこの作品を引き立てます。自然な振る舞いの中に映される手のアップ、あるいは、ちょっとした体を預けるショットが、神名の心象風景を繊細に伝えます。映画には3つのパートがありますが、各パートに呼応するようにそうしたショットが配されていて、余韻を引き立てます。
三島監督: 手もそうですが、実は足も好んで撮っています。ドキュメンタリーを撮っていたことと、フランスの映画監督ロベール・ブレッソンの影響があるかもしれません。手というのは、動くも動かないも意思が見えやすい部位ではないかと思います。彼らの手の距離、男から女へ、女から男へ渡されるもの、誰の足が誰のところへ向かうのか……それらを追うことで見えてくる感情はあまりにも大きいため、ポイントで撮っています。あと、触れている部分を2人はどれだけ意識しているのか、という表情の芝居も繊細に組み立てました。
── 神名とハセオが大学の映画サークル出身ということで、映画作品の引用などもありますが、原作に登場するものとは別の作品になっています。映画の中で引用される作品や題名は、どう選択されたのでしょう。
三島監督: 劇中に登場させた往年の映画作品にはいくつか意味がありますが、ひとつには時代性を意識しています。2026年に名画座が『西部戦線異状なし』(1930)を上映していることの意味を、ぜひ感じてほしいと思います。そしてもうひとつ、これらの映画作品を通じて、主人公の人生をリアルに感じてほしいという狙いもありました。小津安二郎監督の『晩春』(1949)という、別離が近い父と娘が寄り添う映画を、主人公たちは寄り添いながら観ています。この作品をはじめとする「寄り添う」映画たちが暗示しているものを、感じながら観ていただけたら幸いです。

── 広島のパートでは、物語を超えて迫ってくるドキュメンタリー的な瞬間があります。ドキュメンタリー出身の監督ならではの眼差しの深さを感じます。
三島監督: 広島に何度も通ううちに、2026年にわれわれがこの映画に託すものが重層的に見えてきた気がしたんです。広島の皆さんがやってこられたことというのは、日常的に手を合わせる祈りという行為も含めて、「けっして目を逸らさずに二本の足でしっかりと立って世界を見ていく」ということです。それはこの映画の大切な部分につながっていくのです。
── 松岡茉優さんがこれまで見たことのないような圧巻の感情演技を披露します。あのシーンの演技指導についてお聞かせください。
三島監督: あそこは原作や初期の脚本にはなかったのですが、後半で彼女の感情が溢れ出る場面が必要だと考えて追加してもらいました。松岡さんに「最も醜く、最も美しい感情の発露をしてほしい」と伝えると、彼女はわたしの腕をしばらく握り締め、黙ってうなずいてくれて、あの素晴らしいお芝居が生まれました。ほんとうに今までに見たことがない新しい表現になったと思います。
── 最後に、映画祭にお越しになる観客へメッセージをお願いします。
三島監督: 壊れたことのある痛みを抱えた2人のロードムービーで、1人のクリエイターが自分の目で世界を見るまでの3つの夜を描いています。クルー、キャスト、プロデューサーみんなで大切に作りました。皆さまの中に、何らかの発見があることを願っています。