2026.05.25 [更新/お知らせ]
字幕翻訳者、映画評論家 齋藤敦子さんの訃報に接しお悔やみを申し上げます

字幕翻訳者で映画評論家の齋藤敦子さんの訃報に接し、謹んで哀悼の意を表しますとともに、心からお悔やみを申し上げます。
 
齋藤敦子さんには、東京国際映画祭で上映する作品の字幕を20作品以上ご担当いただき、多大なご尽力をいただきました。
ご担当いただいた作品等はコチラのページに掲載いたしました。
 
また、東京国際映画祭 市山尚三プログラミング・ディレクター、石坂健治シニア・プログラマーより追悼文が届きましたので掲載いたします。
 


 
 齋藤敦子さんに最初にお会いしたのは1991年、プロデュースした映画『無能の人』がフランスのナント三大陸映画祭に選ばれ、私が作品を代表して一人で参加した時でした。それは私にとって初めての国際映画祭への参加であり、当時は英語も大して話すことができず、ましてやフランス語は全く話せなかったので、様々な局面で助けていただきました。その後、ホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーの作品をプロデュースした際は、カンヌ映画祭やヴェネチア映画祭で見ていただき、新聞等の批評でサポートしていただきました。ジャ・ジャンクーの『プラットホーム』がヴェネチア映画祭で上映された時のレポートで、「登場人物たちと一緒に年をとっていったように思える映画だ」と評していただいたことは忘れられません。
 2000年に東京フィルメックスを立ち上げてからは、字幕翻訳講座、映画批評講座などの講師をお引き受けいただきました。様々な困難に見舞われながらもフィルメックスを続けられたのは、齋藤さんの励ましとご協力があってのことだったと思います。
 昨年、東京国際映画祭やフィルメックスでもお会いできず、体調を崩されていると聞いて心配していたのですが、いまだにお亡くなりになったことが信じられません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

東京国際映画祭プログラミング・ディレクター
市山尚三

 


 
 齋藤敦子さんとは1980年代以来の長いお付き合いでした。フランス映画社にいらした頃、こちらは新米の映画ライターで、とくにフランス映画について多くのことを教えていただきました。翻訳家として活躍されるようになってからは座談会などでご一緒する機会もありました。国際交流基金が刊行していた雑誌「をちこち」(2008年2月号)で四方田犬彦さんを交えて「『国民的女優』はどのように生み出されるのか」という面白い巻頭鼎談をやったことなど、昨日のことのように思い出されます。
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 2008年からは『河北新報』のウェブ版で「シネマに包まれて」の連載を始められました。毎年TIFFの直前になるとあの元気な声で「ケンちゃん、今年もインタビューさせて」と依頼がきて、アジア部門の上映作品や特集について対話を交わすことが恒例となりました。齋藤さんの厳しくも的を射た質問に答えて作品ごとの推しポイントを言語化し、それがウェブ紙面で文字になるという循環サイクルは2024年まで続きました。この17年間の問答は毎年TIFFに臨む際の通過儀礼であり、プログラマーとして自らの思考を整理して人に伝える重要な訓練でもありました。齋藤さんには感謝しかありません。
ご冥福をお祈りします。

東京国際映画祭シニア・プログラマー
石坂健治

 
 
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